トリスタン・ダ・クーニャに寄港した最初の日本客船(1922年)
       〜 たこま丸とトリスタン・ダ・クーニャ 〜

ウエッブ上にはセント・ヘレナ島,アセンション島,トリスタン・ダ・クーニャ島など南大西洋に関する古書が閲覧できるサイトがあります。


その中に1920年代初め,島の学校の教師を兼ねてイギリスからトリスタン・ダ・クーニャに渡った英国聖公会福音宣布協会(カトリック)の海外派遣宣教師のヘンリー・マーチン・ロジャーズ夫妻の滞在記録 The Lonely Island があります。


その夫妻がトリスタン・ダ・クーニャに向かったのは, なんと大阪商船の南米移住船『たこま丸』でした。
たこま丸
1909年2月5日進水した大阪商船の香港〜ワシントン州タコマ間の定期船。 門司,神戸,横浜などに寄港した。 トリスタン・ダ・クーニャに寄港したのは1917年より開設された南米移民船としての『たこま丸』。 ここをクリックするとアンクル・トリスで有名な柳原良平さんによる『たこま丸』のイラストを見ることができます。



当時イギリスからトリスタン・ダ・クーニャに行くにはまず南アフリカ連邦(現:南アフリカ共和国)のケープタウンに船で大西洋を南下し, ここからトリスタン・ダ・クーニャ付近を航行する船に乗り換えました。 夫妻の場合, その船がたままた日本の南米移住船だったわけです。 


遠くはるばるケープタウンまでやって1週間波に揺られてトリスタン・ダ・クーニャ付近まで来ても, 天候が悪く島に近づけなければそのまま素通りしてしまうことも珍しくなかったようです。 したがって運が悪ければ大西洋の向こうブラジルやアルゼンチンへノンストップで―という悲劇も生まれます。 しかし, たこま丸の場合, 仮に天候が悪ければそのまま数日間天候が回復するまで待つと約束してくれたと記されています。 


奥さんの記述では船長は日本人の Kamaiashi とあります。 おそらく Kamaashi か Kamaishi の誤りではないかと思いますが, 船の中の様子から夫妻が『たこま丸』の旅に好印象を持っていたことがわかります。


日本の海軍中佐,Kamaiashi 船長は丁寧そのもので島への1週間の船旅が快適になるようにあらゆることをしてくれました。 日本人の船員に囲まれ私たちについて日本語で何か言っているのを聞くのは興味深いものでした。 私達のために食事はイギリス式でしたが,箸を使って食べようと努力しますと私達の日本人の友人は多いにおもしろがりました。


船がトリスタン・ダ・クーニャについたのは1922年4月1日で, 朝から霧が発生し雨が降り出しました。 が海は凪いでいて運良く夫妻は島に上陸できました。
その時の様子です。

私達は海岸からたっぷり数マイル先は離れていましたが,船がサンディ・ポイントとビッグ・ヘッドを回ると,1867年に訪問されたエジンバラ公にちなんで名付けられたエジンバラという小さな定住地が見えてきました。


まだ朝早く2,3うろついている動物を除けば,生きているものがある様子はほとんどなかったのですが, 突然私達の船が汽笛を鳴らしますとあたり一面が活気に満ちた興奮に包まれました。 全住民が海岸に急ぐのが見えます。 犬は大声で吠えます。 驚きと混乱の様子ですが男性の大人と子供が3隻のボートを浮かべ全員が漕ぎ出しました。 彼らは力いっぱい漕いで私達の方へ全速力でやってきます。


 しかし近づいてくるのを見ていると島のボートは帆と薄い張り板でできていて非常にきゃしゃで小さくペンキを塗る必要があるように見えました。 また男たちは髭面の野生的で違和感のある顔をしており服はつぎはぎだらけでした。 ズボンの上にひざまで来るように白いウールの靴下を履き, 靴や長靴の代わりにモカシンで, はだしの若者も数人いました。 彼らの帽子はいろいろです。 皆が身振り手振りで何か叫ぶ姿に私はあまりいい印象を持ちませんでした。 多くの者が色黒で, 私は有色人種に恐怖心があったのです。


日本人の船長はまもなく錨を下ろしましたが, トリスタン人を甲板に乗せるのが適切か疑っているようですが, ついに舷門を下げ夫に降りて船の中で男たちに話すように頼んできました。


夫はその通りにし,男たちに私達が礼拝と子供の教育のために聖公会福音宣布協会から派遣された宣教師であることを告げ, 助けになることは何でもしたいと言いました。 さらに郵便や品物を持ってきたのでボートと品物を島に降ろす手助けが必要であることも付け足しました。 そしてもし私達に会えて嬉しいのならその喜びを手を上げることで示してほしいと言いました。


夫が話し終えると皆手を上げ,ボートの中で立つと万歳三唱をし,帽子を振って微笑みました。 彼らは正真正銘,私達が来たことを喜んでいる様子で,私は甲板から彼らを見ているうち恐怖心は消え, 彼らに本当に申し訳なく思ようになりました。


このあと『たこま丸』のボートを1隻降ろし,夫妻を乗せ,二人の島民を水先案内人にし船長と,1等航海士,パーサー,それに7人の船員でそのボートを漕いで島まで運びます。 日本人は英語が話せなかったので身振りで島民と意思疎通を図りますが, 桟橋がないないことには戸惑ったようです。


島に降り立った夫妻は島民に囲まれ, 時はあわただしく過ぎます。 二人の新居が建つまで居候することになった島民の家の中にも島民たちが大勢入ってきて新しい宣教師夫妻を歓迎します。 やがて誰かが「奥さんに船が出ていくと言えよ。」と声を上げます。
私が窓越しに外を見ると男達は私が見えるように気をきかせてどいてくれました。 蒸気船がぼーっとさよならの汽笛を鳴らしました。 たこま丸が蒸気を出して去っていくのが見えます。 私の心は沈みました。 船を見ていたら涙ぐんでしまったでしょう。


『たこま丸』は夫妻を島に連れていった船であり, 初めてトリスタン・ダ・クーニャに寄港した日本客船であり, そして島民にとって18ヶ月ぶりに寄港した船でした。

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