〜 トリスタン・ダ・クーニャに寄港した船舶
世界にはいろいろな人がいるものです。 トリスタン・ダ・クーニャなどというほとんどの人がその存在を知らない島のことをやたら詳しく調べる人がいます。 Tristan enthusiast と呼ばれる人たちで日本語にすれば「トリスタンを熱心に研究している人」となりますが, 「トリスタン・ダ・クーニャおたく」とでも言った方が通りは良いでしょう。 カナダのロゼル・C・スミス(Rozell C. Smith) さんもその1人です。 南大西洋の国々(島々)や南極の切手収集をする同好会の会員の方のようで, その同好会の Ice Cap News という同人誌にトリスタン・ダ・クーニャに寄港した船舶の名前を調べて掲載していたのを 1冊の本にまとめたのが, 今回紹介する The Ships of Tristan da Cunha: A Listing 1506-1991 という珍本です。 本といっても24枚のA4の紙にコピーしたものを家庭製本機で綴じて製本用のクロステープで仕上げた自作か, または町の印刷屋さんに頼んで作った自費出版物という感じがします。 それでも扉には国際標準図書番号(ISBN) 0 9514643 1 0 に続き A catalogue record for this book is available from the British Library (この本の目録は英国図書館より入手可能)などと誇らしげに書かれているりっぱな本です。 ![]() さて本の中身です。 副題通り, トリスタン・ダ・クーニャが発見された1506年からこの本が出版された1年前の1991年までの島に寄港もしくは付近を通った記録のある船舶の名前と国籍, 特筆事項などをリストにしたもので, 48ページに渡っています。 冒頭に書いた質問の答えを兼ねて, 具体的にいくつか見てみましょう。 まず1991年までにトリスタン・ダ・クーニャに寄港した日本国籍の船舶の数ですが, 正解は4隻で, 述べ数で言えば5回寄港(正確には沖合いに停泊)しています。 戦前の「たこま丸」「ありぞな丸」「まにら丸」はどれもブラジルへの移民船で, 英国国教会の牧師の送迎として使われました。 具体的には「たこま丸」はロジャーズ師と奥さんをケープタウンからトリスタンへ(この時の模様は別ページに記載), 「ありぞな丸」はパートリッジ師をケープタウンからトリスタンへ, 「まにら丸」は同師をトリスタンからケープタウンへ送るのに使われました。 1987年と88年の Eikyu Maru は「永久丸」と綴れば良いのかもしれませんがどのような船であったか不明です。 1987年の場合は, 乗組員が島に上陸して野菜を買ったと本に記載があります。 1988年の場合は, 乗組員の治療のため島に立ち寄り, やはり野菜を買って行ったようです。 次に1年に何隻トリスタンに船は来るのかという質問の答えです。 航路の推移や, 帆船, 汽船, そして飛行機などの海外渡航の手段の発展や, 時の世界情勢による影響を受け, 時代によって違いがあります。 そして記録そのものの有無によって異なります。 もっとも正確に記録が取られていたのは1851年と1852年に英国国教のテイラー師がトリスタンのセント・メアリ教会に就任していたときです。 1851年 2月5隻 6月1隻 7月1隻 9月2隻 10月4隻 11月7隻 12月10隻 計30隻 1852年 1月4隻 2月8隻 3月5隻 4月1隻 9月1隻 11月3隻 12月1隻 計23隻 この前後の記録はあてになりません。 たとえば1850年は1隻, 1853年は2隻しか記録がありません。 1年違うだけでそんなに来航船の数に違いが起こるはずがないでしょう。 最近になると記録もしっかりしているので来航船の実数がわかります。 1980年代1990年代は, 19世紀中ごろと比べ半分以下の10隻から15隻の間にあることが多いようです。 |
| はじめに 地勢 生活 歴史 |
|---|