トリスタン・ダ・クーニャに伝わるちょっと怖い話


トリスタン・ダ・クーニャ近海は多くの船が遭難した難破船の墓場。 そして南大西洋の真中にぽつんと浮かぶトリスタン・ダ・クーニャは, 首都エジンバラを除けば人が容易に近づけない霊気漂う原生林に覆われた険しい地形からなっています。 


そんな島に怪談話がないわけがありません。 ただあったとしても, それを島外の者が知る機会がないだけの話です。 それが前述の島の警察官コンラッド・グラス氏による島民が初めて執筆した本の中で紹介されることによって, 私たちも知ることできるようになりました。 


その中から, トリスタン・ダ・クーニャに伝わる怪談を含めたちょっと怖い話を, 遠い日本の地にも伝えることにしましょう。 (他の伝承物と同じようにコンラッド・グラス氏の話を多少アレンジしてあります)


【このページの話の舞台】





(1) 舞台:ポートハーバ湾


19世紀の始め, まだトリスタン・ダ・クーニャの「建国の父」ウィリアム・グラスが生きていた頃の話です。 この頃は寄港した船を下船して, そのまま島に住み着く者もいました。 デンマーク出身の英語名サミュエル・ジョンソンもその1人でした。 彼はウイリアム・グラスの長女と結婚をして, 島の住民になりました。 


島には皆で共同でやる作業がいくつかありました。 その1つがケルプという海草採りです。 6月と7月になるとトリスタンの海岸にケルプが漂着し, 島民はそれを集めて翌春のジャガイモ作りの堆肥にしたのです。 


新参者のジョンソンはようやく島の暮らしやしきたりに慣れて来ました。 そして要領も覚えました。 島民と協調しつつも一家を支えるためには他の島民に先んずることをする必要もあると考えるようになったのです。 だからケルプ採りをするときは人より早く現場に行って働いていました。 しかし信心深いウィリアム・グラスはキリスト教の安息日である日曜日に島民が働くことを禁じていました。 ジョンソンもそれに従いながら, ずるがしこいことも考えました。 日曜日がだめなら, 日曜日が月曜日になる真夜中なら働いてもいいのではないか。 ジョンソンはそう考えたのです。


それである日曜日の夜, ジョンソンは1人で家を後にして定住地のエジンバラから3キロほど離れたボートハーバ湾に向かいました。 ここにある小屋で夜を過ごし, 真夜中過ぎから働き始めることにしたのです。


南半球の6月7月は冬です。 南極へもさほど遠いとは言えないトリスタンの冬の寒さは厳しいものがあります。 冷たい風が吹く中, ジョンソンは海岸の小屋に辿り着くと暖炉に火を灯してハンモックで休むことにしました。


ぴゅーぴゅーと吹く風の音を聞きながらジョンソンはうとうとし始めました。 すると天井の上で奇妙な音がしました。 ガチャン, ガチャン。 鎖がぶつかり合う音がします。 何だろうと思ったその瞬間, 煙突を伝わって一陣の風が吹き降りて辺りに灰を散しながら暖炉の火を消してしまいました。 


ジョンソンはハンモックから出ると窓から差す月明かりを手がかりに暖炉に行き薪に火をつけました。 そして再びハンモックに戻って寝ようとしました。 するとまた天井からガチャン, ガチャンと鎖がぶつかり合う音がし, 煙突から風が吹き降りて暖炉の火が消えてしまいました。


ジョンソンはランプに火を灯すと勇気を出して外に出てみました。 しかし辺りを見回しても月明かりの中で荒れている海以外に何も見えません。 ジョンソンは小屋に戻ると戸にしっかり錠前をかけ再びハンモックに横になりました。 するとまた鎖がぶつかり合う音が―。 そして今度はバタンと大きな音を立てて戸が開き, 小屋の中に猛烈な風が吹き込んで暖炉の火を消したかと思うと, 戸が自然と閉まり, 辺りはしーんと静まり返りました。


ジョンソンは怖くなりました。 家に帰ろう― ハンモックから起きあがるとランプに火を灯し外に出ました。 小屋を出てしばらくすると背後からまたあの音がします。 ガチャガチャガチャ。 誰かが重い鎖をひっぱりながらこっちに向かって来ます。  ジョンソンは後ろを振り向きました。 すると肩越しに青白い顔がこちらを向いているのが見えました。  ジョンソンは走りました。  しかしジョンソンがいくら走っても鎖の音が追いかけてきます。 


やがて小川に来ました。 霊は川を横切ることはできない― ジョンソンはそんな言い伝えを思い出しました。 これで大丈夫だ。 ジョンソンは川を渡ると走るのをやめ, 目を瞑って息を整えました。 すると耳元で鎖がぶつかり合う音がしました。 ジョンソンのすぐ脇に, 足に鎖をつけた男が青白い光を放ちながら, ぼうっと立ってたのです。


ドンドンドン― 
ウィリアム・グラスは家の戸を叩く音に起こされました。 こんな真夜中に誰だろうと不審に思いながら玄関の戸を開けると, 男が泡を吹いて倒れて来ました。 見ればそれは義理の息子のジョンソンでした。 小川から夢中になって走って走ってエジンバラに着いたジョンソンはウィリアム・グラスが戸を開けた瞬間, 気を失ったのです。


驚いたグラスは家族の手を借りてジョンソンを家に抱えて入れると暖かい毛布でくるんでやりました。 何が起きたのかグラスにはわかりませんが, とりあえず意識を失っているジョンソンをベッドに寝かしました。 すると不思議なことが起きました。 突然煙突から風が吹き降りて暖炉の火を消したのです。


ジョンソンが正気に戻って事の始終を話したのは数ヶ月経ってからでした。


                 


(2) 舞台:ホッテントット渓谷


ある日, 私の母方のおじいさんのジャック・ロジャーズは仲間と鳥の卵採りに山に向かいました。 出かけたときは良い天気でしたが, やがて雲が山から下りてきて辺りに霧が立ち込めました。 暗くなる前に集落に帰らなくてはいけない。 皆は犬を先頭に足を速めました。 


やっと晴れていれば集落を見下ろせるところまで来たときは, すでに暗くなっていました。 あいにくランプを持って来ていなかったので道がわかりません。 すると「見てみろ」とだれかが声を上げました。「誰かがたいまつを回しているぞ」。 霧の中, 火が円を描きながら揺れています。 「迎えに来てくれたのだ」 皆はまた犬を先頭にたいまつに向かって歩き始めました。 


たいまつは一行を導いて行きます。 1日の仕事に疲れた皆は黙ってついて行きました。 するとしばらくして前方の犬が立ち止まりました。 「どうした。 行きなさい」 犬に命じても動きません。 不審に思ったおじいさんは動かなくなった犬のそばに行きました。 そして犬を駆り立てようとしゃがんで前方を何気なく見たとき, おじいさんの足元から数10センチ先の霧の間から集落の明かりが見えました。 「危ない」 おじいさんは尻餅をついてそのまま後ろに戻りました。 「この先は崖淵だ!」 


たいまつの火があざ笑うように崖淵の先の空中で円を描いて揺れると, すっと消えました。


                 


(3) 舞台:ジャガイモ畑


まだ帆船が海を渡っていた頃, ジャガイモは今と同様トリスタンの人々にとって重要な主食でした。 8月のある朝, セレナ・ライリ夫人は集落から離れたところにあるジャガイモ畑で作業をしていました。  日が高くなった頃, 夫人は休憩を取ろうと近くの小屋に入っていきました。 トリスタンの8月は真冬です。 夫人は暖炉に火をつけ, 持ってきた水を飲もうとボトルの蓋を開けました。 すると弱々しいうめき声が聞こえました。 「ちょっとパンと水をください」


夫人は身の毛がよだちました。 そのうめき声は咳とくすくすとした微かな笑い声になりました。 今日は夫人以外に畑に誰もいません。 夫人は小屋の隅に行くと「誰なの?」と声を上げました。 「水とパンをください」 また声がすると夫人はボトルを落として一目散に小屋から出て集落に走りました。


夫人の話を聞いた男達は, ジャガイモ畑の小屋に向かいました。 1人が戸を開けると中から布の袋を服代わりにした白髪の男が倒れていました。 男を担いで集落に連れて来てベッドで休ませると, やがて意識が戻り, 男は自分は島の南で遭難した船の乗組員で, 浜に仲間を残して, 2週間, ひとり山を越えて助けを求めてやって来たのだと告げました。 


島民たちが船を出して島の南海岸にいる遭難者を救助したのは言うまでもありません。


                 


(4) 舞台:トリスタン島沖合い


これも19世紀の話です。 トリスタン・ダ・クーニャの人々にとって大切な経済活動は近くを通る船とのバータ交易でした。 島民たちは水や島で採れた野菜, 島民が作った衣類などと船が運んでいる食料や日用品と物々交換をしてしました。


その日, 1隻の帆船が, 島民と交渉をしたいという合図をしました。 これを知った島民の中からディック・ライリとコットンじいさんと若者たち数名がロングボートを漕いで沖合いに停泊している船に向かいました。 沖合いの船の船長は新鮮な水と肉がほしいと申し出ました。


いったん島に戻って水と羊肉を持って船に上がると, 船の様子が変であることにライリらは気付きました。 船員たちは無愛想で, デッキから下に降りるなと言います。 そして何よりも船全体に, すえた臭いが漂っています。 


一行は船から下りて島に帰ると島民たちに言いました。 「子供たちを天井裏に隠しなさい。 今夜は家にしっかりカギをかけ一歩も外に出ないように。 大人たちは武器も用意しておきなさい」 ライリは船上で乗組員たちが島を今夜襲う計画について話していたのを盗み聞きしたのです。 その船は奴隷船だったのです。


運良くその夜, 海は荒れて奴隷船は島には近づけませんでした。 そして翌日, 船は島の沖合いから姿を消しました。 島民たちは天井裏で一晩過ごした子供たちに声をかけました。 「降りていらっしゃい。 もう大丈夫」


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