島を追われて (1961年)-1-
       〜 火山噴火と島外避難 〜            
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2004年, 日本は夏から秋にかけて,大雨・台風・地震(新潟中越地震)と,相次ぐ天変地異に襲われました。 その43年前の1961年, トリスタン・ダ・クーニャも同じように,7月には60年ぶりの破壊的な嵐に見舞われ, そして10月には有史以来初の火山の噴火が起きました。


異変は1961年8月6日(日),初めて地震を感じたことから始まります。以降連日地震が起き,行政官のPJF ホイーラーは無線でイギリスの地学者に問い合わせます。 その結果,連日の地震は活断層によって引き起こされたと考えられ時間が経てば収まるという見解を得ます。


島民もまた駐留していた南アフリカの気象観測所の職員すらこの言葉を信じ安堵しますが,地震は一向に収まる気配がありません。特に9月17日(日)の地震は大きく, セント・メアリ教会の壁がうねり床が震動し夕べの祈りのために集まっていた島民は衝撃を受けます。


9月18日(月),デニス・シンプソン農業担当はクレイフィッシュ漁の母船トリスタニア号(628トン:スコット船長)で南部30kmほどにある無人島ナイチンゲール島に向かい1週間滞在して地震の観測をします。 それでわかったのはこの島では全く地震を観測しなかったという事実です。 さらにエジンバラのちょうど南,島の反対側12kmほどにあるストーニー・ビーチに行った島民もそこでは全く地震を感じなかったと報告してきます。
PJF ホイーラー行政官は万一大地震が発生しエジンバラが崩壊したらナイチンゲール島かストーニービーチに避難することを考え始めます。


9月30日(土),缶詰工場の裏とエジンバラの裏で断崖に亀裂が走り大玉石が転がり缶詰工場へ水を運ぶパイプラインを破壊します。  また牛1頭が犠牲になります。


10月8日(日),再び日曜日の夕べの祈りの最中に強い地震があり,エジンバラ東部の住居のドアや窓の開閉が不能になり, また家の壁や地面に亀裂が走ります。 東部の住民は西部へ自主避難します。


10月9日(月), 東部の住民が翌朝戻ってみると不思議なことに住居のドアや壁の開閉は可能で地面の亀裂がなくなっていました。 しかし大規模な落石が起こり島民の水道施設が破壊されます。
午後までに最東の家から200ヤード離れた山腹に亀裂が生じ,やがて亀裂の上部が盛り上がり激しく揺れ出しました。 これを目撃したPJF ホイーラー行政官は島民を集め島外に避難するための準備を呼びかけます。
盛りあがった土は1時間に5フィートずつほど高くなり,岩が「泡を出す」状態になります。
午後5時半までにこれが火山錐であると結論を出します。
臨時の避難地としてジャガイモ畑を選び,ここで島民は一夜を過ごします。 


病人,子供のために2つテントが張られますが,他の島民は地面に掘った穴の中で寝ます。「眠れない一夜を過ごす」という常套句がありますが, ほとんど皆ぐっすり寝てしまい,10月10日午前2時に起きた最初の噴火を見たのは, 島民ではなく, 沖合いに停泊中のトリスタニア号のスコット船長でした。 船長は無線で南アフリカの英国海軍本部に連絡,やがてニュースを通して,トリスタン・ダ・クーニャという聞き慣れない島の名前が世界中にが広がります。


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