島に取り残された画家の日記(1824年)-1-
       〜 旅行画家 オーガスタス・アール 〜


私がトリスタン・ダ・クーニャに興味を持ったきっかけになったのが, 19世紀はじめの「旅行画家」オーガスタス・アールでの日記でした。  インターネットで何かの調べごとをしているうちにその日記と出会ったのですが, 今から180年前の地球の裏側の孤島の暮らしを記した日記は私の想像力を駆り立て, トリスタン・ダ・クーニャというほとんど日本では知られていない島に魅せられてしまったのです。


オーガスタス・アール(Augustus Earle) について簡単に紹介しておきます。
1793年イギリス生まれ。 父親はアメリカの肖像画家で英国王立美術院のメンバーであったジェームズ・アール(James Earl: 父親の方は Earl です。) 母親はジョセフ・スミス(Joseph Smyth)。  父親は1796年にアメリカに戻りその地で黄熱病で死亡しています。


1806年(13歳) Judgement of Midas が英国王立美術院で展示され, またここで美術のレッスンを受けます。 友人にモールス信号の発案者 サミュエル・モールスがいました。 モールスとは 1813年(20歳) にイングランド南東部のケント州ディールへスケッチ旅行に出かけています。


1815〜6年(22〜23歳) ナポレオン戦争が終わり旅行する機会が増えます。
シシリー島, マルタ島, ジブラルタル, 北アフリカへスケッチ旅行に出かけます。


1818年(25歳) アメリカに渡ります。


1820〜4年(27歳〜31歳) ブラジルのリオ・デ・ジャネイロに滞在。 数々のスケッチや絵を描きます。
このころ南米の諸国が相次いで独立。 またオーストラリアやニュージーランドの植民が進行します。 欧米の人々はオセアニアや南米の珍しい風物に興味を持ち始め, アールのような旅行しながら異国をスケッチして人々に伝える, という現代の特派員的な仕事が成立していました。


1824年(31歳) ケープタウンに行く途中, トリスタン・ダ・クーニャに取り残され11月29日まで滞在。


1825〜6年(32〜33歳) オーストラリアへ。 


1826年(33歳) イギリスに戻ります。 リソグラフ機を購入, 旅行先の様子をリソグラフで大量に印刷します。 


1827〜30年(34歳〜37歳) 再びオーストラリア, ニュージーランドへ。


1830年(37歳) イギリスに帰国。


1831年(38歳) ダーウインのビーグル号による南米のフィールド調査の画像担当に選ばれ年末に南米に向かいます。


1832年(39歳) 4月にリオ・デ・ジャネイロにビーグル号到着。 しかしアールは病気のため仕事を辞退。


1833年(40歳) イギリス帰国。 体が不調のため旅行には出かけず室内で絵画を描いて暮らします。


1838年(45歳) 喘息と衰弱のためロンドンで死去。


                                           前のページへ     次のページへ    
はじめに 地勢  生活  歴史   メルマガバックナンバー なぜ 写真・リンク集
トップページへ