●◆●◆●◆●◆●◆● 独学トリスタン・ダ・クーニャ ●◆●◆●◆●◆●◆●
世界で一番遠い島のオンライン研究
=================【No 15】================
2003年1月30日発行
今回のコンテンツ
1 トリスタン・ダ・クーニャについてサイト案内
2 Who's who 〜アブラハム・ジョシアス・クルーテ
3 駐屯基地トリスタン・ダ・クーニャ
4 あとがき
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【1 トリスタン・ダ・クーニャについてサイト案内】
トリスタン・ダ・クーニャについては次のコンテンツをご覧ください。
http://www.eigo21.com/tristan/index.htm
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【2 Who's who 〜 アブラハム・ジョシアス・クルーテ 】
今回のトリスタン・ダ・クーニャの歴史物語の主人公はアブラハム・ジョシア
ス・クルーテです。
それでなくてもレア物のトリスタン・ダ・クーニャの歴史に登場するキャラの中
でも,目立たない存在です。 しかしインターネットで検索すると誇らしげに
Sir の称号付きで系図が載っている人物なのです。
この系図によると彼の曾曾曾じいさんにあたるヤコブ・クルーテという人物が
オランダから南アフリカのケープ(タウン)へ1652年に移住,南アフリカの
クルーテ家の祖の1人となったようです。
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アブラハムは1794年8月7日,10人兄弟の次男としてケープタウンに生まれます。
父親のピーター・ルーレンスはケープ郊外のデ・ホープに広大な土地を所有して
いた資産家だったようで,現在この土地は自然保護区となり希少な動植物の保護
地としてまたケープタウンの人々のリクリエーションの場として使われている
ようです。
彼はボーア人(南アフリカに移住したオランダ系農民)を祖先に持ちながら,
若くしてイギリス騎兵団(第21軽竜騎兵団)の大尉となりました。
フランス語,ドイツ語,オランダ語,ポルトガル語を話し,軍人としての才能
もあり, 初代ケープタウン知事ソマーセットの寵愛を受けていました。
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彼には付き合っていた女性がいました。
が妻に先立たれ男手一つで娘達を育てていた相手方の父親はそれを快く思って
いません。 祖先がボーア人であることが気に入らなかったのです。
アブラハムにとって不運だったのはこの父親が,彼の上司であることであり,
その上司が,ソマーセットの長期不在にあたってケープタウン知事代理となっ
たことでした。
1816年11月,娘と別れさせたいこの父親にとってまたとないチャンスがやって
きます。 イギリス本国からケープタウンの沖合い2,800キロにある孤島トリス
タン・ダ・クーニャに駐屯基地を造れという指令が来たのです。前年にセント・
ヘレナ島に配流になったナポレオンの脱出阻止が目的でした。
どういう経緯はわかりませんが,アブラハムは決闘騒ぎを起こし(曾曾曾じい
さんのヤコブも殺人を犯したようです),彼を左遷するのによいお膳立ても
できていました。
こうして弱冠22歳の若い大尉は,恋人と別れ,72人の軍人とその家族とともに
軍艦ファルマス号に乗ってトリスタン・ダ・クーニャに向かったのでした。
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【3 駐屯基地トリスタン・ダ・クーニャ 】
この船旅はアブラハムにとって文字通り人生の荒波を経験する旅となりました。
途中嵐に遭い,船は激しく揺れ,乗組員はみな船酔いに苦しみます。
連れてきた家畜類の大半は海に放り出され,島での食料源になるはずだった
野菜の種も多くは海の藻屑となってしまいます。
トリスタンの島影が見えても波が荒く近づけない日々が数日続いた後,
ようやく11月28日にアブラハムらの一行は島に上陸しました。
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島には彼らの到着を待っていた者がいました。
アブラハムが旅立つ3ヶ月ほど前の1816年8月,彼の先発隊として軽竜騎兵団のライ
ス(またはリッチ)中尉が18人の部下と共にトリスタンに駐留していたのです。
彼らの場合,臨時の駐留ということで,食料の備えも住まいも貧弱でした。
魚をつりアザラシを殺して日々を凌いでいたのです。
なおホームページ版にトリスタン・ダ・クーニャ発行の歴史を題材にした切手の画
像を添えましたがその中に The landing party 1815 というのがあります。
http://www.eigo21.com/images/trstn/stmp_gar2.jpg
これは今回取り上げている島への上陸の1年前に,上記のライス(またはリッチ)
中尉が島を訪れており,この時の様子を題材にしたもののようです。
したがって,画像に描かれている軍人はアブラハムではなくライス(またはリッ
チ)中尉思われます。
なお描かれている軍人がイギリス海軍ではなく陸軍の服装をしているのは軽竜騎
兵だからです。
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そしてもう二人,アブラハムらの一行を歓迎した者がいます。
1813年以来この島の住民となっているトマソ・コッリと1814から彼のもとで
「奉公人」となっていたバスティアノ・ポンチョ・カミリャ少年です。
(彼らについてはメルマガ12号で触れています。)
http://www.eigo21.com/tristan/mmbck/12.htm
彼らは,この島で船の中継基地ビジネスをしていたのですが, アメリカの捕鯨
船にいいようにされて,ほとんど商売になっていなかったようです。
そんな 二人にとって突然現れた女子供を含む70人に及ぶ大群は心強い存在に
見えたでしょう。 特にこの4年ほど女性の姿を見たことのなかったトマソに
とって突然の華やいだ世界の到来がどんなに嬉しかったか想像するのに
難くありません。
一方,バスティアノ少年の方は,トマソとの契約を残したまま,これを機会に島
を離れる決意をします。
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恋人と別れた悲しみを忘れようとしたのか,持ち前の勤勉さからか,アブラハム
は駐屯基地建設に情熱を向けます。
現在も島民が利用している港から町へ通じ,さらにジャガイモ畑に通じる道も,
丘にトンネルを開けて流れている運河(島民は現在これを Big Waterin と呼
んでいる)も,国旗を掲げる柱も,草の合間に見える要塞跡も,彼が習得してい
た土木技術で造ったものです。
さらに10エーカの荒地をならし小麦を栽培します。 これは自分たちの食料用
だけでなく,中継基地ビジネスも念頭に入れていたのでした。
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トリスタン・ダ・クーニャの駐屯基地建設は順調に進み,寄港する船は島の変貌振
りに目を見張ります。
アブラハムも中継基地ビジネスの夢に胸を膨らますようになりました。
一方ケープタウンではソマーセット知事が長い不在から帰り,知事代理の策略
を知ります。 かわいがっていた部下をこのまま大西洋の孤島に置いておく
わけがありません。 ちょうどイギリス本国もトリスタンの駐屯基地化を中止
しようとしていたこともあり,アブラハムに帰国の命令が下り,あっけなく
基地も閉鎖の運びになります。
こうして1817年5月,アブラハムはケープタウンを離れて半年後,再びこの地に
戻り,恋人と再会し,めでたしめでたし,という結末となります。
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さてアブラハムのその後はというと,軍人として功績が認められナイトの称号
を貰います。 そして1886年10月26日,ロンドンで92歳の生涯を閉じます。
この時代に90歳代まで生きるというのは珍しかったのではないでしょうか。
さらに驚くことがあります。
彼は Anne Woolcombe という女性と1857年,63歳で結婚(初婚)。
系図によれば69歳のときに孫ではなく娘が生まれたことになっています。
ただ,これは養子だったかもしれません。
それとも実子だったのでしょうか。 気になるナゾですね。
ともかくこの一人娘も1943年まで生きていますので親子2代でナポレオンとヒ
トラーと同時代に生きたということになります。
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【4 あとがき 】
久しぶりの発行です。 お忘れになっていなければいいのですが。。
年末年始にかこつけて,すっかりノンキに構えているうちにもう2月。
私は独自の時間感覚があるので,どうも世間と歯車が合わないようです---
などとメルマガを発行しなかったいい訳をするのはやめましょう。
でもこのノンキな時間感覚のせいで今年は初っ端からガックリしたことが。。
正月明けに某電気店で何人かに1人の割で1,000円分の買い物券があたるという
企画があったのですが, それに当たったのです。
ただし有効期間は1週間。 その日のうちに乾電池でも買っておけばよかった
のに,急いでいたのでその日は何も買わずに帰ってしまいました。
まだ1週間あるし,と思って毎日を送っているうちに1週間過ぎてしまい
結局その買い物券は無効に。ああ,1,000円ソンした。 今もうらめしい〜。
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