●◆●◆●◆●◆●◆● 独学トリスタン・ダ・クーニャ ●◆●◆●◆●◆●◆●

           世界で一番遠い島のオンライン研究 


=================【No 9】=================
 
 2002年10月29日発行

 今回のコンテンツ
 1 トリスタン・ダ・クーニャについてサイト案内
 2 Who's Who -- トマソ・コッリ
 3 リボルノとセイレム
 4 海外サイトで英文読解
 5 あとがき

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 【1 トリスタン・ダ・クーニャについてサイト案内】

 トリスタン・ダ・クーニャについては次のコンテンツをご覧ください。

  http://www.eigo21.com/tristan/index.htm

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 【2 Who's Who -- トマソ・コッリ】 

 ジョナサン・ランバートとともにトリスタン・ダ・クーニャ島に定住をした
 トマソ・コッリ(Tomasso Corri 英語名トーマス・カーリ Thomas Curry)
 は謎だらけの人物です。

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 コッリの謎の一つは,ジョナサン・ランバートらとの接点です。

 トリスタン・ダ・クーニャの歴史についてオンライン上の1790年版のブリタニカ百
 科辞典で調べると,まずトマソ・コッリが初めてトリスタン・ダ・クーニャ島に定
 住しそれからジョナサン・ランバートとウィリアムズが来たことになっています。

 他の資料は3人がまとまってバルチック号に乗ってトリスタンに来たように書か
 かれているので,この記述はユニークです。

 この『トマソ・コッリ先住説』は特異ですが,説得力はあります。
 ランバートが教養とある程度の資産があったようなのに比べ,コッリは怪しい
 素性の持ち主のようで,二人が以前からの知り合いであるとするには共有するも
 のが乏しい感じがします。

 ランバートの島専有宣言書の署名立会人にコッリを使わず,島に来て間もない
 アンドルー・ミレーにしたのは,彼が識字できなかったからか,ランバートか
 ら信用されていなかったからではないでしょう。

 もしランバートが事業をいっしょにする者としてコッリをトリスタン・ダ・クー
 ニャに連れてきたとすれば,対等なパートナーとしてというより使用人程度の
 扱いであったように思われます。

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 コッリの職業は不明ですが,海賊であるとしている資料があります。
 海賊だとするとランバートが来る前から島に1人でいても不思議ではありません。
 
 当メルマガ第2号で触れたように海賊の世界では,彼らの掟を破った者は無人島
 に置き去りにする(marooning )という処罰があったので,彼がトリスタン・ダ・
 クーニャに1人取り残されていてもおかしくはないのです。

 ただイタリア人の海賊が一般的であったのかはわかりません。 少なくともコッリ
 の故郷リボルノは北アフリカのアラビア人の海賊(corsair)に悩んでいたのは事実
 です。

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 【3 リボルノとセイレム】 
  
 コッリで唯一明かなのは出身地がイタリアのリボルノ(Livorno 英語名Leghorn)
 であること。
 イタリア人とアメリカ人のハーフであるという資料もありますが,上記の1790年
 版ブリタニカ百科辞典を読むと,当時のリボルノはコッリのような『国際人』を
 生む土壌があることがわかります。

 当時リボルノはコズモ家の公国下の自由港で,トルコ人の奴隷から珊瑚宝石商
 などを営むユダヤ人までいろいろな民族が住んでいた国際都市でした。
 人口45,000人の1/3はユダヤ人が占めていて,アメリカに移住したイタリア人
 の多くはこのリボルノのユダヤ人であったようです。 

  さらに詳しい当時のリボルノの様子に付いては【4】に記載したアドレスに
  アクセスなさってください。


 17世紀にリボルノのユダヤ人の中から南アメリカ・オランダ領ギアナ(現スリ
 ナム)へ移民を始めた者が出始めたので,コッリがアメリカと何らかの関わり
 があったとしても不思議ではありません。

 ただコッリが現代のアメリカに多いイタリア系アメリカ人の祖となるかというと
 これは疑問です。 現代のアメリカに住むイタリア系アメリカ人は1870年代の
 移民に始まり,コッリの時代とは2,3世代ずれがあるからです。

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 仮にジョナサン・ランバートとトマソ・コッリがトリスタン・ダ・クーニャに来る
 前に出会っていたとすれば,それは海を通してであると断定していいでしょう。
 18世紀末のリボルノが自由港を控える国際都市であったように,ランバートの故郷
 マサチューセッツ州セイレムもアメリカで6番目の都市で,造船所を控えた海運業
 の盛んな土地でした。

 二人が出会うとすれば船員の溜まり場のようなところだったでしょう。
 当時世界の情報が詳細に手に入ったのは港でしたから遥か南大西洋のトリスタン・
 ダ・クーニャとその周辺の情報も容易に得ることができたに違いありません。

 [蛇足1] セイレムは日本と接点があるのをご存知ですか。
      幕末のペリー来航の前1799年,マーガレット号とフランクリン号という
      船が交易を求めてセイレムから長崎に来航,日本の美術品などを持ち
      帰ったそうです。 
      これが縁で 2000年 Peabody Essex Museum は東京の江戸東京博物館
      と共同で『日米交流のあけぼの展』を開かれました。

[蛇足2] 10月30日はハロウィーンですが,セイレムは17世紀の魔女裁判で歴史上
有名になった町で,今はそれを逆手にとって10月の1ヶ月,町を挙げて
      特別の催しをしているようです。

      

               ●●●●●●

 トマソ・コッリについてはこれからもその名が出てきます。 追々どういう男で
 あったかがわかると思います。

 なおランバートとコッリ以外の定住者, ウィリアムズとアンドルー・ミレーに
 関しては詳細は不明です。

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 【4 海外サイトで英文読解】    

 【3】で触れた1790年版のブリタニカ百科事典のリボルノの項目の訳と原文が
 下のアドレスに掲載されています。 
 参考になさってください。

 http://www.eigo21.com/tristan/mm/livorno.htm  
 (日本語・英語)
  
 
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 【5 あとがき】

 独学トリスタン・ダ・クーニャ第9号をお送りします。

 だいぶ久しぶりの配信となりました。いかがお過ごしでしたか。

 一方通行の狭い道路で前の車が止まると中から運転していた男がカレンダーを手に
 出てきました。 どうやらお得意先にカレンダーを配っているらしいです。
 もうそんな季節?
 風流ならばここで俳句が一句できるところでしょうが,こちらは交通標語を一句。
 
  ジコチューな行為でイライラ事故招く
  
 なお次回は節目の10号にあたるのでちょっとした企画を考えています。
 また10日〜2週間くらい間が開くかもしれませんが,お楽しみに。