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超トリビアな! トリスタン・ダ・クーニャの歴史 
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 【続・孤島に置き去りにされた船長 】

 さて前々回の続きです。
 トリスタン・ダ・クーニャ島に上陸しているあいだに,自分が指揮していた船が出
 航して,孤島に取り残されてしまったあのノックス船長についての話です。

 ことの真相を探るため検索エンジンでこんなサイトを見つけました。

 http://www.bweaver.nom.sh/janisch/janisch_1673-85.html (英語)

 これはトリスタン・ダ・クーニャの『兄島』ともいうべきセント・ヘレナの知事へ
 あてたイギリス東インド会社からの手紙を集めたサイトです。
 
 16世紀の初め, ほぼ時を同じくして発見された両島ですが,2世紀ほど経つのにトリ
 スタン・ダ・クーニャはいまだに無人島のまま。 
 一方のセント・ヘレナは地形に恵まれ大西洋を行く船の中継基地として発展して行
 きます。
 そんなセント・ヘレナの知事へ,東インド会社はこうしろああしろと要望を出しま
 す。 その手紙がこのサイトに集められているのです。

 画面3/4くらいまでスクロールして,Court of Directors letter 25th April 1684
 というところを見ると前回書いたトリスタン・ダ・クーニャ島開発計画に触れた個
 所があるのですが,見づらいのでこの部分だけを抜粋したページを作りました。

 http://www.eigo21.com/tristan/mm/knox.htm (英語)

 ここで重要なのは一番下にある NOTE です。

 『ノックス船長がセント・ヘレナに到着した後,指揮していたトンキン・マー
  チャント号は, 士官や乗組員によって1684年6月8日に持ち逃げされてしまった。
  ノックス船長とおかかえの大工が上陸しているあいだに。』

 とあります。 

 つまりノックス船長はトリスタン・ダ・クーニャ島ではなくセント・へレナ島で
 『置き去り』にされたのです。
 無人島のトリスタン・ダ・クーニャ島と違い,セント・ヘレナ島は人がりっぱに
 生活している普通の島です。 ここなら『置き去り』にされても大丈夫。

 しかしこれは以前使った資料 The Annals of Tristan da Cunha とずいぶん違う
 記述です。 
 本当にノックス船長はセント・ヘレナ島に『置き去り』にされたのでしょうか。

  
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【時の人 ロバート・ノックス 】
 
 そこで Knox で検索してみます。 
 するとわかったのがこのノックス船長,実はその当時の有名人だったのです。
 本名をロバート・ノックス (Robert Knox)といい,こんな経歴の持ち主なのです。

 1641 誕生。
 1655 船長の父親とともに初めて航海に出る。(〜1657)
 1658 イギリス東インド会社のスポンサーのもと父親とともに2回目の航海に出る。
 1660 その船が遭難しセイロン(現スリランカ)に上陸,キャンデイ王国で捕虜と
    なる。父親は1年たたずして死亡。以降キャンディ王国で身柄を拘束される。
    ただし国内を「観光」する程度の自由は与えられていた模様。
 1679 セイロン脱出に成功
 1680 イギリスに帰国。 
 1681 セイロン見聞と脱出の記録をつづった『セイロンの歴史物語』
    (A Historical Relation of Ceylon )出版。
 東インド会社所有のトンキン・マーチャント号の船長に任命される。
 1684 セント・ヘレナへ奴隷を斡旋するためマダガスカル島に向かう。
 1686 ペルシャ湾ならびにインドのボンベイへ向かう。
 1720 死去。

 ロバート・ノックスの名が後世に残っているのは20歳から38歳までセイロン(現ス
 リランカ)で捕虜生活を送り,脱出後出版した『セイロンの歴史物語』が当時の
 ベスト・セラーになったことにあります。
 
 アメリカ独立やフランス革命に影響を及ぼした思想家のジョン・ロックもこの本が
 出版されると即買ってその著書で引用したり,イギリスの作家デフォーも『ロビン
 ソン・クルーソーの冒険』を書く際に参考にしたと言われています。(当メルマガ
 第2号でアレキサンダー・セルカークに触れましたが,デフォーはこのノックスの
 冒険も参考にしたようです。)
 この A Historical Relation of Ceylon は海外滞在記録の古典であり,現在で
 もスリランカの研究には必携の書のようです。

 さてここで注目すべきは 1684年,「船長置き去り事件」が起きた年の記述です。
 
 
 『1684 セント・ヘレナへ奴隷を斡旋するためマダガスカル島に向かう。』

 これから推測するのはマダガスカルからセント・ヘレナに来て,それからトリスタ
 ン・ダ・クーニャへ行くという予定だったのではないでしょうか。
 それがセント・ヘレナに上陸したら船が持ち逃げされてしまった。
 つまり今回の資料ならつじつまが合います。

 少なくとも前回の資料にあった『不運な船長についてこれ以上はわからない』
 なんて記述は歴史資料としてとんでも間違いだといわざるを得ません。

 ところでトンキン・マーチャント号はどうなったのでしょうか。

 現代で言えば会社の持ち物を横領したことになるのですが,こんなことが当時
 まかり通っていたのでしょうか。
 答えはまかり通っていたのです。 その実例としてオランダの海賊ハイラム・ブレイクスという
 人物について簡単な履歴ををご覧ください

つづく