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超トリビアな! トリスタン・ダ・クーニャの歴史 
                  独学トリスタン・ダ・クーニャ メルマガ(現在休刊)より編集

【トリスタン・ダ・クーニャ島の発見】

 トリスタン・ダ・クーニャ島は1506年に発見されますが,これには16世紀初頭の
 ポルトガルのインド洋進出が背景にあります。 当時ポルトガルは香辛料貿易によ
 る利益を得ようとしていたのです。

 インドのコチンにポルトガルの要塞を作り貿易の拠点を確保することに成功した提
 督アフォンソ・デ・アルブケルケに対して,1506年,マヌエルI世は再びインド
 へ 向かう君命を出します。インド洋岸の各地にポルトガルの貿易拠点を作るため
 です。

 同年アルブケルケはトリスタオ・ダ・クーニャ(Tristão da Cunha)とともに15隻の船団を組み
 大西洋を南下して南アフリカの喜望峰を経由してインドに向かいます。

 が途中激しい嵐に遭いトリスタオ・ダ・クーニャの率いる船団は航路を外れます。
 厳しい寒さで乗組員は苦しみますが, 海をさまよううちに孤島を発見します。
 これがトリスタン・ダ・クーニャ島です。 島に上陸することはなかったのですが
 以降,この島は発見者の名前を取ってトリスタン・ダ・クーニャ島として「認知」
 されるようになったのです。

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 【トリスタオ・ダ・クーニャってだれ】
 
 さてトリスタン・ダ・クーニャを発見し後世までその名を島の名前につけられて残ることになる
 トリスタオ・ダ・クーニャとはどういう人物なのでしょうか。
  

 同時代のアファンソ・デ・アルブケルケやフランシスコ・デ・アルメイダはポルト
 ガルのゴア進出という歴史的なできごとと関連して日本語で検索しても少なからぬ
 情報 が入るのに対しダ・クーニャに関してはほとんど皆無です。
 
 そこで海外のサイトから情報を得ることにします。

 ただ Tristan da Cunha で検索すると島のほうのトリスタン・ダ・クーニャのこと
 ばかりヒットするので一計を案じ,ポルトガル語の Tristão da Cunha で検索しま
 す。
 ちなみにポルトガル語の綴りだと Tristao の a の上にチルダ(~)が付き,発音は
 トリスタウンみたいに鼻にかけます。 

 検索結果を見ると同じ内容の文章を持つサイトが複数あることに気付きます。
 それもそのはずこれは同一の情報源(The Columbia Encyclopedia コロンビア百科
 辞 典)を使ったサイトだからです。 
 
 ここにはこう書かれています。

  1460〜1514? ポルトガルの航海士。
  彼の最も重要な航海は1506年15隻の船とともにインドに向かったときなされた。
  彼は南大西洋で3つの火山島を発見,そのうちの1つは彼の名前がつけられてい
  る。
  紅海の支配を望みアラビア海のソコトラ島を奪った後1507年インドに向かうがア
  フォンソ・デ・アブルケルケは王からの命令で船団の一部を離し別行動をとる。
  ポルトガルに帰国後法王庁で外交使節を行なう。 
  息子の Nuno da Cunha(1487〜1539)はインド知事になったが1529年バスラ
  で捕らえられた。

 とりあえず南大西洋で遭難することなく無事任務を遂行したようです。  

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