このコンテンツのトップページへ |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 1953年房総沖地震 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 房総半島沖は将来大きな地震の起こる可能性の高いところのようです。 起きたとするとどうなるのか, 千葉県に住んでいる者としては気になります。 そこで房総半島沖で起きた地震で比較的新しい(と言っても50年以上前になりますが) 1953年11月26日午前2時49分に起きた房総沖地震について, 当時の新聞記事と気象庁の地震データベースによる情報を, まとめることにしました。
1. 房総半島沖(房総沖)の正確な震央地名 まず地震の震源地(震央)としての「房総半島沖」もしくは「房総沖」というのはどこなのか確認しておきます。 そこで気象庁の地震情報で使う震央地名のページ(日本全体図)を参照してみました。 今回は房総半島沖なので(東北・関東・北陸・東海地方)を開けてみます。 この図と一般的な「房総半島沖」(「房総沖」)のイメージを比べると, 狭義に言えば「房総半島沖」(「房総沖」)は「千葉県東方沖」と「千葉県南東沖」と「房総半島南方沖」であり, 広義に言えば「関東東方沖」の南側3分の1も含まれると考えてもさしつかえないのではないかと思います。 このコンテンツのトップへ 2. 将来大きな地震が起きるという「房総半島沖」「房総沖」はどこか それでは将来大きな地震が起きると言われている「房総半島沖」「房総沖」はどこなのか, 震央地名に照らし合わせてみましょう。 (1) 上記の震央地名の中で, 文部科学省研究開発局の組織である地震調査研究推進本部事務局のサイトのページに赤文字で記されている「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震の発生に伴い、その震源域である、三陸沖中部、宮城県沖、三陸沖南部海溝寄り、福島県沖、茨城県沖、三陸沖から房総沖の海溝寄りの一部(北緯40度から三陸沖南部海溝寄りの沖合いに至る領域)では今後もM7を超える余震が発生する可能性が」あるという「房総沖」は「関東東方沖」に当たると思われます。 これは上記の地震調査研究推進本部事務局のサイトの「関東地方に影響のある、海溝で発生する地震」のページに地図があり, そのBの部分に当たることから明らかです。 (2) 一方, 東日本大震災が起こる前から, 将来地震があるだろうと言われているのが地震の空白域がある「房総沖」で, これは Wikipedia の記述から「房総半島南方沖」のようです。 (3) 問題なのは, このページ で書かれている「房総沖」や「房総半島沖」としている場合です。 上記の「関東東方沖」や「房総半島南方沖」はもちろん「千葉県東方沖」も含めているのでしょうか。 震源地がどこであるのかは該当地区に近いところに住んでいる人間には気になる情報です。 広く「房総沖」「房総半島沖」とすれば予知(予言)が当たる率は高くなるのは明らかですから学者も出版社もこのように曖昧に表現するのでしょうが, 人心を不安にさせる内容だけにもっと正確な情報を伝えるべきだと思うのですが。。。 このコンテンツのトップへ 3. 1953年房総沖地震の概要 発生時間: 1953年11月26日(木)午前2時49分。 発生場所: 房総半島南東の約120キロ沖。 北緯34度9分24秒 東経141度24分12秒。 この図の右下部「141°」と記されている付近。 これは地震調査研究推進本部事務局のサイトのページに赤文字で記されている「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震の発生に伴い、その震源域である、三陸沖中部、宮城県沖、三陸沖南部海溝寄り、福島県沖、茨城県沖、三陸沖から房総沖の海溝寄りの一部(北緯40度から三陸沖南部海溝寄りの沖合いに至る領域)では今後もM7を超える余震が発生する可能性が」あると言っているところに近いのではないでしょうか。 地震の規模: マグニチュード7.4 (関東大地震はマグニチュード7.9) 最大は破損は南北動34.5ミリ上下動17.2ミリ。 26日11時までに余震は有感6回,無感30回に及んだ。 各地の震度: こちらを参照のこと。 津波: 午前3時4分に千葉,茨城,神奈川,静岡の海外に大津波警報を発令するが「発震時間が干潮のため(中央気象庁地震課長談)」津波は小さかった。 5時50分に警報解除。 千葉県銚子市 3メートル 千葉県勝浦市 1メートル80センチ 千葉県館山市富崎 1メートル50センチ(午前4時40分) 茨城県那珂湊町 80センチ 静岡県下田町 30センチ 地震の被害: 地震の規模の割に大きな被害は少なかった。 死者は1名。 ただし八丈島ではがけ崩れがあり,また三津根村を除く全島が停電, 三宅島では主要道路300メートルがくずれ港に停泊中の漁船1隻が破損。 このコンテンツのトップへ 4. 当時の新聞による1953年房総沖地震 ※ ここに引用した朝日新聞, 読売新聞, 毎日新聞はどれも1953年11月26日発行の夕刊です。 地震の概要: 「関東大震災と同程度で戦後(1953年までで)最大, 戦後では24年12月の今市地震以来のものだったが, 震源地が陸地から100キロ以上の房総沖合だっため被害は軽微だった。 京浜地帯では,あかつきの夢を破られた人々が戸外に飛び出して, 寒空にふるえる風景も見られ一部に水道管の破裂,停電事故などがあった程度で, 家屋倒壊などの被害は免れた。 中央気象台では午前3時4分に千葉,茨城,神奈川,静岡の海岸に対して「津波警報」を発したが, 千葉県銚子付近などに約3メートルの高波が起こっただけでたいした被害はなく,5時50分に解除した。」(朝日新聞)。 地震の規模: 当時の新聞はマグニチュードを使って地震の規模を伝えることはなかったようです。 中央気象台(現在の気象庁の前身)の井上地震課長談から見出しを「関東大震災と同規模」(朝日新聞)「関東大地震と同程度」(毎日新聞)とし, 各地の震度を伝えています。 地震の被害: 「被害はわずか」(読売新聞)「被害はほとんどなし」(朝日新聞)という見出しからわかるように, 規模は大きいながら被害はほとんどなかったようです。 地震に関連した死者は夕刊発行の時点で1名のみ: 「26日朝6時10分ごろ茨城県稲敷郡源清田村Nさん(58)は自宅前の新利根川に顔を洗いに行く途中,地震のために切断された高圧線に触れ感電即死した」(読売新聞) 東京都の被害: 「東京でも壁が落ち窓ガラスが破れ人々は戸外に飛び出した」(毎日新聞) 「東京都内では変圧器や電燈線が火を噴いたがいずれも大事に至らず消し留めた」 (朝日新聞) 板橋署平尾派出所で天井一坪が落ちた■戸塚署西落合派出所で窓ガラス一枚破損■世田谷区松原町62先で電線切断■世田谷区千歳烏山都バス車庫で壁3メートルが落ちた■品川区南品川5で電線若干を切断 (読売新聞) 江東区亀戸Sさん方引き込み電線約8メートル, 足立区千住で電線約1メートルがスパークして燃えた■江東区千石町H木材引き込み電線が1メートル燃えた(朝日新聞) 神奈川県の被害: 横浜 市内数箇所で水道管が破裂した。 横須賀 ボヤ騒ぎがあったほかはタナからものが落ちたり時計が止まった程度。 湘南各地 津波はなかった。 津波: (読売新聞)は「伊豆の湯の街大騒ぎ ”津波”におびえごった返す」という見出しで, リヤカーに荷物を載せて避難する写真を添えて, 静岡県熱海, 伊東, 神奈川県箱根の様子を伝えています。 毎日新聞も「津波警報に家財をまとめてトラックで避難する人々=伊東市で」というキャプションの写真を掲載しています。 ※震源地に近いのは千葉県ですが, 読売新聞に限らず他の全国紙も千葉県の詳細な様子は伝えていません。 (朝日新聞)が「三宅島と千葉県富崎に被害ありと入電があった」と添えている程度です。 当時はまだ千葉県は交通通信の便の悪い僻地であり, 一方, 伊豆箱根は日本を代表する観光行楽地のブランド物であったのが, このマスコミの扱いの差に現れたのでしょう。 【熱海発】 「この朝”網代測候所発表によれば...”と前置きして『一時間後大津波が来る』との予報に湯の町はハチの巣をつついたような大騒ぎ。 (中略)50世帯が避難を開始。 消防署は100余名が警戒にあたり, 寒気と恐れに歯の根もあわないような二時間を過ごした。 また京浜地方から来た二日ないし三日泊まりの客はいずれも滞在予定を切り上げて帰ってしまった」(読売新聞) 【伊東発】「”網代海岸に1時間後に大津波襲来”の予報に, 同夜の浴客約500名の大半はそれぞれ身のまわり品をまとめて飛び出せば, 宿の番頭これを追っかけて『宿料をどうぞ・・・』とてんやわんやの大騒ぎ。」(読売新聞) 【小田原発】「小田原,箱根地方は地震の被害はなかったが, 箱根温泉旅館に泊まっていた約6千人の浴客は”スワ早雲山のじすべり”と大慌て, 寝巻きのまま戸外に飛び出す客もあった」 エピソード(1) 地震にドロボウも来日選手たちも驚く: 「けさの地震 みな戸外へ飛び出す」(毎日新聞)という見出しにあるように大きな揺れに人々は驚き外に出たようです。 これに関連してこんなエピソードがありました。 「26日午前2時50分ごろに地震に目を覚ました葛飾区小菅の呉服商中村喜与吉さんは家人と表庭に飛び出そうとしたところ,大ブロシキに反物を包み逃げ支度のドロ棒とばったり鉢合わせ。 Nさんは「ドロボウ」と叫ぶ一方,110番通報。 驚いたドロ棒は盗品の59反入り大ブロシキ,七つ道具のドライバーなどを置いて裸足で戸外に逃走した。 中村さんは『前夜の疲れでぐっすり寝込んだので,地震が5分遅く来られたらやられておりました。 地震サマサマです』と大喜び。(毎日新聞) また全日本のチームとアイスホッケーの試合をするためにスウェーデンから来日していたサッカーチーム「ユールゴーデン」が地震に驚いたという記事もあります。 「来日中のユルゴルデンは26日早朝宿舎丸の内ホテルで生まれて初めて地震を経験, ベットのシーツを身体に巻きつけたり,パジャマのままで部屋を飛び出したり,チームの金を預かるルンドウインスト秘書は商売からかしっかりトランクをとののえて身支度をするなど大騒ぎだった」(朝日新聞) エピソード(2) 地震光現象(?): (朝日新聞)は「海上にセン光 館山で望見」の見出しで「26日午前2時40分から2時53分まで千葉県南部房総半島に相当強い地震があった。 3回にわたって南方海上に青白いセン光をみた。 住民は驚いて戸外に避難した」とあります。 (毎日新聞)も「怪光が見えた 房総半島方面」の見出しで「館山地方は揺れている最中稲妻に似た怪光がみえ地方民[ママ]は驚いて戸外に避難した」と書いています。 このコンテンツのトップへ 5. 気象庁の地震データベースによる1953年房総沖地震の震度などの情報 本震とそれに続く余震と思われる地震について気象庁の地震データベースより引用します。 ※当時の震度の目安 (新聞の記載より) 5「強震」=壁に割れ目が入り,墓石や石灯籠が倒れ, 土塀にヒビができる程度(朝日新聞) 軽い被害を伴う地震(読売新聞) 4「中震」=家屋の動揺激しく,器物が倒れ, 器の水があふれ出る程度 (朝日新聞) 人々が戸外に飛び出す程度(読売新聞) 3「弱震」=戸障子が鳴動し, 家屋がゆれ動く程度 (朝日新聞) 戸,障子がガタガタする程度 (読売新聞) 2「軽震」=戸障子がわずかに動き, 一般の人にも感じられる程度 (朝日新聞) 大部分の人に感ずる程度 (読売新聞) 1「微震」=注意深い人が感じる程度 (朝日新聞)(読売新聞) ※震源地に近い千葉県での観測については疑問点があります。 千葉市にも観測地点があったのにその震度が本震でも余震でも書かれていません。 千葉県北西部を震源とする地震について調べたとき1960年代前半以前は, 千葉県北西部が震源でありながら, 千葉県内の測候所の観測がない(震度がない)地震が異常なほど多いことに気づきました。 特に千葉市にあった千葉測候所の震度が欠けているのが目立ちます。 今回の房総沖地震も本震余震ともまったく震度がありません。 千葉測候所のホームページの沿革のページによると「1953年7月に銚子測候所(現銚子地方気象台)千葉出張所として、川崎製鉄所KK千葉製鉄所の一角を借用して観測を始め」たとありますので, この地震のときは観測 体制が取られていたはずですが。。。
前のページへ戻る 千葉県北西部地震の震源を調べると |