なつメロ英語(EUROPEAN POPS SERIES)
イタリアのストリーミング放送 ヒット・チャート
![]() もくじへ |
|||||
|---|---|---|---|---|---|
| . |
| 05 | Un senso - Vasco Rossi (直訳)意味 − ヴァスコ・ロッシ |
2004 | |||
| 試聴 原詞・訳詞 | |||||
|---|---|---|---|---|---|
| 2004年終わりから2005年初めにかけてイタリアのヒット・チャート界は, オジサンががんばっています。 Convivendo(直訳:「同棲」) のビアジョ・アントナッチ(1963年生まれ) Il mondo insieme a te(直訳:「君といっしょの世界」) のマックス・ペッザーリ(1967年生まれ) 。 そしてこのヴァスコ・ロッシはさらに一回り年上の1952年2月7日生まれ。 オジサンだって受け入れるイタリアは大人の国なんですね, きっと。 ![]() ヴァスコ・ロッシはイタリア半島の付け根エミリヤ・ロマーニャ州の中央部のゾッカという町に生まれました。 トラック運転手をしてイタリア中を回っていた父親は, 第2次世界大戦中, ドイツ・ナチスのイタリア北部占領に対するレジスタンス運動で逮捕されドイツの捕虜収容所に送られた経験の持ち主。 その時の仲間の名前に因んで息子の名前を付けたという逸話があります。 ヴァスコは幼いときは教会の聖歌隊で, 中学生のときは友達と作ったバンドで歌を歌っていました。 そして1965年, 13歳のときに『金のナイチンゲール・コンテスト』という子供向けの歌謡コンテンストで Come nelle fiabe (直訳:「昔話の中のように」)で優勝します。 高校卒業後, 実験的な演劇活動に熱中しますが,親からの勧めもあり, 名門ボローニャ大学の教育学部に入学。 しかし, 音楽・芸能への道を進むことに未練があり, しばらくして退学, 1975年, 友人と自由放送ブント・ラジオを作りそこでDJを始めます。 DJをしながらもカンタアウトーリ(シンガーソングライター)になるための準備もし, そして1977年に Jenny e Silvia(直訳「ジェニーとシルヴィア」) をリリースしますが今一つヒットしませんでした。 さらにアルバムも出しますが, こちらも反応はよくありませんでした。 しかし地道にイタリアのロックバンド「スティーブ・ロジャース・バンド」とともにイタリア全土をツアーするうちに徐々に注目されはじめます。 (一方, 麻薬売買容疑で逮捕されるという事件も起こします。) 硬派のロック・シンガーでありながらヴァスコ・ロッシは場違いなサンレモ音楽祭に1982年と1983年の2回したことがあります。 そのうち1983年では, 自分の出番にもかかわらず行方不明になるという前代未聞のハプニングを起こし業界から締め出されそうになりますが, これがかえってヴァスコ・ロッシの存在を人々に知らせることになり, 10代のファンをつかむことになります。 ![]() ここに2003年ミラノのサン・シロ・スタジアム(インテルとミランの本拠地 8万5千人収容)でのコンサートのビデオがあります。 どうみても腹の出たオジサンですが, 自分の子供くらいかそれより下の年齢の若者から熱狂的な喝さいを受けている姿がヴァスコ・ロッシの人気の程を物語っています。 |
|||||