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英語からイタリア語へ
英語の知識をイタリア語学習に活かす方法
Penguin Parallel Text を使ってイタリア文学を読む
このページで扱っている内容
■ Penguin Parallel Text の紹介
■ ヴァスコ・プラトリーニの『引越し』の紹介
■ イタロ・カルヴィーノの『大きな魚,小さな魚』の紹介
■ ナタリア・ギンズブルグの『母親』の紹介
■ 遠過去と半過去
■ Pane con l'olio e l'aceto
■ Penguin Parallel Text に収録されている作品のリスト
■ イタリア文学と英米文学の対訳サイトについて(別ページ)
■ イタロ・カルヴィーノの初期短編集 主に『菓子泥棒』に関連して(別ページ)


(注)私はイタリア文学を専門的に学んでいません。 
   このページは素人の読書感想文みたいなものとしてお読みください。


Penguin Books からイタリア語の原文を左ページに, 英語訳を右ページに見開きで載せる Parallel Text シリーズが2007年3月現在, 3冊出版されています。 英語の文章が読めるイタリア語中級レベルの独学者の方にお薦めします。


このシリーズの良い点は, 辞書を引き引き読み進める辛さを味わうのではなく, 文学作品そのものを味わいながらイタリア語を学習できるところにあります。  訳はイタリア語学習者の便宜をはかって意訳しすぎることなく, それでいて英語だけで読んでも十分に鑑賞に値するようになっています。 つまり文学好きの英語学習者にとっても楽しめる本と言えます。 


■ 私の鑑賞法(勉強法)
無理に原文を読むことはしません。 辞書も引かずにちょっと原文を読んでこんな意味かと推測したら英文を読んでいます。 原文すら読まずに最初から英文を読むこともします。 しかし学校のテキストのように, 何度も何度も読み返します。 あるときは単語のチェックをし, あるときは冠詞の使い方に, あるときは時制の使い方に注目する― というように自分で課題を見つけて読み返しています。


シリーズ1冊目の Italian Short Stories 1 に収録されている8作品のうちの6作品の日本語訳が, 1972年に白水社から出た『現代イタリア短編選集』で読むことができます。 絶版なので古本で買うか図書館で借りるしか読む手段がありませんが, 運良く私の住んでいる市の図書館にあったので該当する作品をコピーして, 原文と英語訳・日本語訳の比較参照をしています。  これはかなり勉強になります。 


それでは Italian Short Stories 1 より3つの作品を選んで私の鑑賞法(勉強法)を具体的に記したいと思います。 なお偶然この3つの作品は子供の視線から大人を見ている共通点があります。 編者の Raleigh Trevelyan ははしがきでこのことに触れ, 子供を主人公にするのはイタリアの作家が卓越しているジャンルであると書いています。


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 ヴァスコ・プラトリーニ 『引越し』(Lo sgombero)
1926年のフィレンツェが舞台。 おばあさんと二人暮しをする少年の私はアパートからの引越しを余儀なくされますが, おばさんは結婚以来暮らしてきたアパートへの固執と引越し先への偏見が強くなかなか引っ越そうとしません。 


プラトリーニの作品は『若者のすべて』(1960)や『わが青春のフロレンス』(1970)などで映画化され, また『祖国は誰のものぞ』(1963年)ではアカデミー賞脚本賞にノミネートされただけあって, 読んでいくと映画のシーンが浮かんできます。  自分が映画監督になって頭の中でカットの割り振りをしたり, カメラのアングルを決めたりできる楽しさがあるのです。 今回は白黒のネオレアリズム映画を見ているような感じです。


この作品は, 自分の考えに固執しているプライドの高い頑固者のおばあさんと, それを包み込んでしまうような, 少年である「私」を含んだ周囲の人間の優しさのコントラストを描いているところにおもしろさがあると思います。 二人をアパートから追い出す家主にしても, 補償金を出す上に立ち退きの期間を延ばせるだけ延ばしていますし, 執行吏も荷物を荷車に載せる手伝いをします。 「私」(もしプラトリーニその人でしたら13歳ということになります)もおばあさんの愚痴をさらりと受け流しています。 そして何よりもクライマックスの, あるアクシデント後の周囲の人々の行動がこの作品の主題を最も強く表しているでしょう。


私はこのように思って読んだので, 会話の部分も一方的に自分の考えを主張するおばあさんと, 「頑固な年寄りで困ったものだ」と辟易しながら優しく接する周囲の人間の言葉として読みました。 たとえば煉瓦職人たちが部屋にいるおばあさんに話しかける場面があります。 原文では
"Se mi permette" disse uno di loro, "credo che lei non si renda conto della situazione."
となっています。 引越し先の斡旋をしてくれる親切な職人で, おばあさんに対して lei と敬称を使い終始第3人称単数形で話しています。 「こう言っては失礼ですけれど, 奥さんは状況がよくわかってないように思いますが」というように物腰低く接していると読み取りました。 しかし大久保昭男先生の訳では職人らしく「失礼だが, あんた, 事の次第がよくわかっていないんじゃないかね」と乱暴な言葉遣いになっています。  


また荷物を載せる手伝いをしたあとの執行吏の言葉は原文では
"Di più non possiamo fare" disse il biondo, "siamo in ritardo" e ci lasciarono..
となっています。 「これ以上はお手伝いできません。 遅くなってしまいましたので」と丁寧に言っているつもりで私は読みました。 一方大久保昭男先生の訳では「これ以上手伝えないね。 もう遅いからね」と冷たい感じで言い放っています。


イタリア人の国民性からこのような場面を日本語にするとこんな口の聞き方になるのだ― ということまでも考慮しないといけないのかもしれません。 単純に lei だから物腰が丁寧と思うことも間違っているかもしれないし, 職人だからぞんざいな口を聞き, 執行吏なのだから役人らしく素っ気なく応対しているととるべきかもしれません。


ただちょうど洋画の吹き替えを聞いて俳優やその役柄の思っていたイメージが違うことがあるように, 日本語に翻訳した場合, 会話の部分で自分の頭に描いたイメージと翻訳家の方の訳からのイメージが異なることが起きると思います。 それがまた原文で読む楽しさとも思います。


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 イタロ・カルヴィーノ 『大きな魚, 小さな魚』(Pesci grossi, pesci piccoli)
この作品はイタロ・カルヴィーノの初期の作品を集めた I Racconti (1958)の中の一つで, 同作品集の一部を翻訳した『魔法の庭』(和田忠彦訳 晶文社 1991)にも収録されています。  ですのでイタリア語と英語訳, それに二つの日本語訳を読み比べることができます。 


第2次世界大戦中と戦後間もない時代の匂いがぷんぷんとする作品集『魔法の庭』の中にあって『大きな魚, 小さな魚』はその時代を感じさせません。 潜りの得意な少年と失恋した女性のひと時を描いた作品で, 現代の海辺に舞台を移しても十分通用します。 


カメラのように言葉で場面場面を正確に映し出し再現するそのイタロ・カルヴィーノの描写力に圧倒されます。 作品は, 前半は少年(Zefferino), 後半は失恋した女性(la signorina De Magistris)に焦点があります。 特に前半の海の中の少年の描写は非常に細かく, いくつもの魚の名前が出て来ます。 こういう場合はイメージ検索をしてその魚の姿を見ておくと, より鑑賞が深まります。 たとえば Zefferino のお父さんが採っている patelle (米川良夫訳では陣笠貝, 和田忠彦訳ではカサガイ)はイメージ検索ではこうなります


原文を読まなくても英語訳なり日本語訳なりを読めばイタロ・カルヴィーノが描き出そうとしている世界を知ることはできます。 しかし原文でないと表せないものがあります。 それはイタロ・カルヴィーノが道具として使っているイタリア語の美しさです。 たとえばその1節をイタリア語, 英語, 日本語で引用しますと以下のようになります。
Un fondo marino è bello la prima volta, quando lo si scopre: ma il più bello, come in ogni cosa, viente dopo, a impararlo tutto, bracciata per bracciata.  Pare di berli, i paesaggi acquatici: si va si va e non si finirebbe mai.  Il vetro della maschera è un enorme unico ochhio per ingoiare le ombre e i colori.  Ora lo scuro finiva e s'era fuori da quel mar di scoglio; sulla sabbia del fondo si distinguevano le sottili crespe disegnate dal muoversi del mare.  I raggi del sole arrivano fin giù con luminelli occhieggainti e luccichii di branchi di rincorri-gli-ami: minutissimi pescetti che filano dritti dritti e a un tratto svoltano ad angolo retto tutti insieme.
A sea-bed is lovely the first time when one discovers it; but it's lovelier afterwards like everything else, when one gets to learn all about it, stroke by stroke.  One seems to be drinking them, these marine landscapes; on and on, one goes and might go on for ever.  The glass of the mask is a huge single eye to swallow up shadows and colours.  Now the dark ended and he was out of that boulder-strewn part; on the sand of the bottom could be made out fine crinkles drawn by the movement of the sea.  The sun's rays reached right down with peering gleams amid twinkling shoals of tiny fish swimming along in a straight line then suddenly all turning together at a right angle.
(translated by Archibald Colquhoun)
はじめて見る海底は美しく, すばらしい。 しかし, どんなことでもそうだが, 最高のすばらしさはもっとあとで― 一かきごとに泳いでゆくその海を, 残すくまなく知り尽くしたときに, はじめてやって来る。 水の景色を飲んでいるという感じ。 すいすいと, どこまでもいってしまえそうなのだ。 マスクのガラスは大きな目玉, 影と色とを呑み込む単眼の大目玉だ。 ふと目のまえの暗い感じが終わったのは, あの岩の海から抜け出しているのだ。 底の砂のうえには, 海水の運動が描き出す細かい皺の模様がはっきり読みとれる。 光線が下まで届いていて, 丸い反射の斑紋にハリオイの群れのきらめきが交差していた。 このひどく小さなサカナは, そろってまっすぐ進んでいるかと思うと, いきなり, いっせいに直角に向きを変えたりしている。
(米川良夫訳)
はじめて見る海の底は美しい。 だが最高の美しさは, 何事でも, あとからやってくるものだ。 ストロークを重ねて, そのすべてを体で覚えるものなのだ。 水の風景を呑む, それはどこまでもいっても果てることがないような気がする。 マスクのガラスは影と色とをがぶりと呑み込む巨大なひとつ目なのだ。 闇がとぎれたのは, あの海の岩場から抜けでたからだ。 海底の砂のうえには, 海の動きが描いた細かな紋様がくっきり浮かびあがる。 陽の光はずっと下まで差し込み, ちらちらと眩しく反射したり, 群れをなすハリオイをきらめかしたりする。 このとても小さな魚は隊列を組んでひたすら直進するかにみせて, 急にみんなそろって直角に向きを変える。
(和田忠彦訳)
私には原文の2行目 Pare di berli, i paesaggi acquatici: si va si va e non si finirebbe mai.  は発音するとリズムが心地よく感じられました。 英語の訳は One seems to be drinking them, these marine landscapes; on and on, one goes and might go on for ever. としてこのリズム感を出そうと工夫して訳しているように見えます。 Pare di berli と代名詞 li を先に書いて後に名詞 i paesaggi acquatici を置いていますが, これを Pare di bere i paesaggi acquatici とすると見た目も発音したリズムもぼやけた感じがします。 英語はこの部分も忠実に訳そうとしてます。 イタリア語と同じ印欧語の英語は意味だけでなく音の調子も同じように訳すことができるように見えます。


一方日本語の訳は「水の景色を飲んでいるという感じ。 すいすいと, どこまでもいってしまえそうなのだ。(米川良夫訳)」「水の風景を呑む, それはどこまでもいっても果てることがないような気がする。(和田忠彦訳)」となっています。  仮に Pare di berli, i paesaggi acquatici が Pare di bere i paesaggi acquatici であったとしても, 日本語の訳に変りはないでしょう。 印欧語とはまったく異なる日本語では意味は訳せても原文の音まではカバーできないのでしょう。 


ところでこの引用した部分の1行目 ma il più bello, come in ogni cosa, viente dopo, a impararlo tutto, bracciata per bracciata. の il più bello は[定冠詞+ più] なので最上級であるように思えます。 実際,日本語訳のほうは「最高のすばらしさ(米川良夫訳)」「最高の美しさ(和田忠彦訳)」というように最上級の訳になっています。 しかし英語の訳は but it's lovelier afterwards like everything else というように比較級になっています。 これはどういうことなのでしょう? 


なお別ページに別ページにイタロ・カルヴィーノの初期短編集, 主に『菓子泥棒』に関連して駄文があります。 よろしければこちらもごらんください。


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 ナタリア・ギンズブルグ 『母親』(La madre)
物心付いたときには父親が他界していた二人の兄弟にとって, 昼は仕事, 夜は「映画を見に行ったり女友達の家に行くために」家を空ける母親は, 同居している祖父母や女中, それに時折訪問する叔母さんよりも格が下の, 煙たい存在― という状況でこの短編小説は話が進みます。 子供と接するときの行動と子供から見た母親像でしかこの母親についての描写はありません。 子供が見ていない場所での母親が何をしているのか書かれていないのです。 しかし母親なぜ夜遅く帰宅するのか読者はうすうす察しがつきます。 そして結末で母親が取った行動の意味も。 終始子供の視線で書かれているのに, 母親自身の口から「私はこういった人間です」とは言っていないのに, この母親がどういう人間であるのかよくわかる― これがこの小説の見事で, またおもしろいところです。


女性的な細かいところへの客観的な描写が多いのですが平易な文のうえ, その描写が身の回りのものや日常的な動作・状況に集中しているのでイタリア語学習者には非常にためになります。 イタロ・カルヴィーノの地の文をイタリア語会話に応用しようとするのは難しいこと(というより意味のないこと)ですが, ナタリア・ギンズブルグの地の文は動詞を取り出してリストにすれば立派な「日常生活単語集」になります。 例えば最初の1,2ページからいくつか動詞を拾ってリストにしてみるとこのようになります。
portare una sottana blu   青いスカートを穿いている
rientrare molto tardi かなり遅く帰る
venire a casa a trovare 〜 〜を訪ねに家に来る
voltarsi dall'altra 顔を別の方向に向ける
mettersi discosto da 〜 〜に近づかないでいる
dare calci 蹴飛ばす
spogliarsi 服を脱ぐ
abitare in campagna 田舎に住む
spegnere la luce 明かりを消す
lamentarsi con una voce stanca  疲れた声で不平を言う
brontolare contro 〜 〜のことで不平を言う
far chiasso  騒ぐ
avere mal di testa  頭が痛い
sentirsi malsicuro  不安を感じる
sbagliare le strade  道を間違える
entrare nei negozi a chiedere le cose da comprare  買い物のことを聞くために店に入る
avere vergogna 恥ずかしい
tenere 〜 in disordine  〜を整頓していない
lasciare 〜 in giro  〜を散らかしておく
rifare la stanza  部屋を片付ける


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【遠過去と半過去】
イタリア語は過去形がたくさんあって戸惑います。  小説を読むと否が応でも遠過去と半過去に出くわしますが, La madre の 126ページには同じ動詞の遠過去と半過去が並んでいる箇所があります。
il ragazzo capì che stava piangendo, tornò dalla nonna e disse: - La mamma piange, - e la nonna e la zia Clementina parlarono a lungo sottovoce tra loro, parlavano della madre ma non si capiva cosa dicevano.
遠過去が新しい出来事が現れたことを点としての表す過去で, 半過去は人物の様子や心理など描写する線として表す過去と言われています。  泳いでいる魚が遠過去で背景で揺れている水草や水の流れが半過去みたいなものという風に私はイメージして理解しました。 ですからこの部分も遠過去で「話をした」ことをくっきり際立たせ, その後半過去にして「話をした」ことが背景の一部になるような感じ, 映画のシーンにすると「おばあさんとクレメンティーナおばさんが話をした」という新しい光景が現れた後ズームアウトして二人が話をし, 少年が何を話しているんだろうと不思議なそう顔をして立っている。 そしてフェードアウト―  そんな感じを思い浮かべました。 もちろんこれが正しい捉え方であるとは言えません。 でも原文を読みながら自分なりに頭の中で映画を作ってみるというのは楽しい暇つぶしになります。 


それでは遠過去や半過去のない英語ではどう訳しているのでしょうか。 この部分の英語訳は以下のようになっています。

the boy realized she was crying, he went back to Granny and said: "Mammy's crying." and Granny and Aunt Clementina talked quietly together for a long time, they spoke of their mother but you couldn't make out what they were saying. (translated by Isable Quigly)
英語で書かれたイタリア語の参考書ですと遠過去を過去形(単純形), 半過去を過去進行形にしていることが多いですが, この文章では遠過去を talk,  半過去を speak でわけています。 talk が何かしらの内容のあることを話すのに対し, speak が単に動作として話すのを強調すると言われています。  talk の方が色が付いていて speak は色がないという感じでしょうか。  それとも単純に同じ動詞を繰り返すのを避けただけなのかもしれません。 ともかく時制の違いを単語の違いで表そうとしているのがおもしろいと思いました。


ちなみに日本語訳では以下のようになっています。
少年は母親が泣いていたのだと知って, 祖母のところに帰ると, 「ママ, 泣いているよ」と言った。 祖母とクレメンティーナおばさんは長いことひそひそ話をしていた。 母親のことを話していたのだが, 何を言っているのかはわからなかった。 (千種堅訳)


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【pane con l'olio e l'aceto】

112 ページに A merenda mangiavano castagne, o pane con l'olio e l'aceto... という一文があります。  おやつに栗か pane con l'olio e l'aceto を食べた― ということですが pane con l'olio e l'aceto は直訳すると「油と酢といっしょのパン」。 


最近(現在2007年4月)ショートニングやマーガリンが体に有害なトランス脂肪を含むとして欧米では摂取を控えるようになったことが話題になりました。 (検索) 日本人は欧米人ほどショートニングやマーガリンを多量に取っていないから心配はいらないというのが国や日本の製造業者の見解ですが, それでも取らないに越したことはありません。 それで私はトーストにはマーガリンやバターの代わりに, 悪玉コレステロールを減らすといわれるオレイン酸が豊富なオリーブオイルをかけて食べることにしています。 ですから pane con l'olio e l'aceto を見たときすぐに「オリーブオイルと酢を塗ったパン」と思いました。


しかしそれでいいのか不安だったのでネットで調べてみました。 すると Ostemeraviglioso というトスカーナ地方の食事が主な話題である洒落た作りのサイトにずばり pane con l'olio e l'aceto についての以下の記述がありました。 
Di dicembre le giornate son corte sicche' si cenava presto e capitava poco anche quando s'era ragazzi di fare merenda, comunque quella che, se si faceva, si mangiava piu' spesso, era il pane con l'olio e l'aceto. La massaia prendeva una bella fetta di pane e ci metteva sopra un gocciolino d'olio, uno d'aceto e un pochino di sale, perche' da noi il pane non e' salato.
12月になると日が短くなるので夕食は早めにとり, いつ子供がおやつをするのかわからなくなりました。 それでもおやつをとるとすればよく食べたのが pane con l'olio e l'aceto でした。 主婦はパンを一切れ手にとって, オイルと酢をちょっとふりかけました。 そして塩も少々。 というのも私たちのところ(トスカーナ地方)ではパンには塩を使いませんから。


では La madre のこの部分(A merenda mangiavano castagne, o pane con l'olio e l'aceto)の訳はどうなっているのでしょうか。 英語訳はそのまま At tea-time they ate chestnuts, or bread with oil and vinegar です。 ところが日本語訳は「おやつには栗を食べたり, サラダでパンを食べ」とあります。 オイルと酢なのでサラダということなのでしょう。 でもおやつにサラダ? 今から30年以上前の訳です。 今でこそふつうの日本人がフォカッチャなどを家庭で作りますが, 30年まえの日本で知られていたイタリア料理といったらスパゲッティにマカロニ程度です。 そのころはパンに油と酢をまぶして食べるなんて想像がつかなかったのでしょう。 


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イタリア文学と英米文学の作品をイタリア語と英語の対訳で掲載しているサイトがあります。 
詳しくはここをクリック


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 Penguin Parallel Text シリーズに収録されている作品は詳細は以下の通り。



■ Italian Short Stories 1 (Penguin Parallel Text) Raleigh Trevelyan 編 1965年
     ISBN-10: 0140021965    ISBN-13: 978-0140021967
3冊の中では一番オススメです。 癖のない, いかにも文学作品という感じのが揃っています。また下記にあるように日本語訳もうまくすれば手に入ります。
版が古いので活字が見にくいのが欠点。 でもそれがまた味があるかもしれません。


※ アメリカの Amazon.com に行くと「なか身! 検索(Inside search!)」できます。 ここをクリック
収録作品
イタリア語原題 英語題/邦題 作者 日本語訳あり
Lo sgombero The Removal
『引越し』
Vasco Pratolini (1913-91) 大久保昭男※1
Le case Houses Cesare Pavese (1908-50) -
I poveri The Poor
『貧しいひとたち』
Carlo Cassola (1917-87) 千種堅※1
Pesci grossi, pesci piccoli Big Fish, Little Fish
『大きな魚, 小さな魚』
Italo Calvino (1923-87) 米川良夫※1
和田忠彦※2
Le cenere delle battaglie The Ash of Battles Past
『戦闘の灰(じん)』
Carlo Emilio Gadda (1893-1973) 千種堅※1
La madre The Mother
『母親』
Natalia Ginzburg (1916-69) 千種堅※1
L'angoscia Anguish Alberto Moravia (1907-90) -
I passi sulla neve Footsteps In The Snow
『雪の上の足跡』
Mario Soldati (1906-2006) 大久保昭男※1
※1 『現代イタリア短編選集』(大久保昭男,千種堅,米川良夫他訳 白水社 1972)に収録
※2 『魔法の庭』(和田忠彦訳 晶文社 1991)に収録。



■ Italian Short Stories 2 (Penguin Parallel Text) Imitri Vittorini 編 1972年
     ISBN-10: 0140032533    ISBN-13: 978-0140032536
あまりオススメできません。 アンソロジーは編者の嗜好や方針でおもしろいものにもつまらないものにもなります。 残念ながらこれは後者の例。 
編者によると, より広く深い味わいのある作品を集めたそうですが, 途中まで読んで後は読みたくない作品ばかりという感じがします。 少なくとも第1集より難しいイタリア語であらゆる意味で上級者向けです。

収録作品
イタリア語原題 英語題 作者
La madre The Mother
Italo Svevo (1861-1928)
Pesca miracolosa The Miraculous Draught of Fishes Giovanni Comisso (1895-1969)
Autobiografia in tempo di guerra.
Essere scrittore
Wartime Autobiography.
On Being A Writer
Elio Vittorini (1908-66)
Nikolajevka 26 gennaio 1943 Nikolayevka 26 January 1943 Mario Rigoni Stern (1921-)
L'imboscata The Ambush Beppe Fenoglio (1922-63)
Mignotta
(Relazione per un produttore)
The Tart
(Outline for a film producer)
Pier Paolo Pasolini (1922-75)
Il sorpasso Overtaking Alberto Moravia (1907-90)
L'origine degli uccelli The Origin of The Birds Italo Calvino (1923-87)



■ New Penguin Parallel Text Short Stories In Italian Nick Roberts 編 1999年
     ISBN-10: 0140265406  ISBN-13: 978-0140265408
上記の2冊と比べより同時代的で, エンターテインメント文学が多いのが特徴。 暇つぶし的に活字を追いたいなら Il lungo viaggio や L'isola di Komodo や Un cattivo scolaro などがおもしろいかもしれません。
収録作品
イタリア語原題 英語題 作者
Il lungo viaggio The Long Crossing Leonardo Sciascia (1921-89)
Italia Italy Goffredo Parise (1929-86)
La ragazza con la treccia The Girl with the Plait Dacia Maraini (1936-)
L'ultimo canale The Last Channel Italo Calvino (1923-87)
Lilít Lilith Primo Levi (1919-87)
L'isola di Komodo The Island of Komodo Susanna Tamaro(1957-)
Donne in piscina Women by the Pool Sandra Petrignani (1952-)
Un cattivo scolaro A Naughty Schoolboy Stefano Benni (1947-)
I pomeriggi del sabato Saturday Afternoons Antonio Tabucchi (1943-)


■ 入手方法: 私は Amazon.jp.coで買いました。 絶版である『現代イタリア短編選集』と 『魔法の庭』も Amazon.jp.co のマーケット・プレイスで手に入るかもしれません。 同じく検索窓のタイトルを入れてみてください。 ちなみに私の場合は図書館で借りました。