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 デンマーク語はどうですか?
Hvad med DANSK?
〜趣味のデンマーク語のススメ〜



アンデルセンの語学力そしてディケンズ一家
『二都物語』や『デイヴィッド・カッパーフィールド』などの作品で名高いイギリスの作家ディケンズとアンデルセンが親交があったことご存知でしょうか。 ただし二人の間の「親しみ」加減にはかなり温度差がありましたが。。 今回は世界に名高い19世紀の二人の作家の裏話です。


                      


アンデルセンとディケンズが知り合ったのは, 1847年7月16日, ロンドンのブレッシントン伯爵夫人が知識人や有名人を自宅に招いて開いたパーティの席でした。 夫人が二人を引き合わせたのがきっかけです。 それから10年経った1857年の夏にディケンズはアンデルセンをケント州のガズ・ヒルにある自宅に招待しました。 ディケンズが45歳, アンデルセンが52歳のときのことです。


ガズ・ヒルの自宅はディケンズが貧しかった少年時代に父親と散歩したコースにあった大邸宅。 このような家に住んでみたいと言った少年に「努力すれば住めるのだよ」と父親に諭された因縁の家でした。 ディケンズはアンデルセンを招いた1857年の前年にこれを購入しています。 


ディケンズは憧れの家を買った喜びで友人・知人にそれを見せたかったのでしょうか。 いえ, 当時, 浮かれた気分でこの家で暮らしていたようにも思えません。  この時期一家は危機を迎えていました。  ディケンズは20歳から9歳までの9人の子供と病弱の奥さんキャサリンを抱えた生活に嫌気が差していたのです。 夫婦はすでに寝室を別にしており, ディケンズの愛情はこの年の4月にロンドンのヘイマーケット劇場で舞台デビューしたエレン・ターナンという18歳の女優に向いていました。 


                      


さてアンデルセンはデンマーク語と英語とかなり似ているということについて『1857年の夏チャールズ・ディケンズの家を訪れて(Et besøg hos Charles Dickens i Sommeren 1857)』という紀行文の中でおもしろい記述を残しています。


Uden al øvelse i tidligere at tale engelsk og høre det tale, forstod jeg fra første øjeblik næsten alt, når Dickens talte til mig; ingen var hurtigere til at forstå mig end han. Dansk og engesk er hinanden så lige, at vi tit begge undrede os over ligheden, og når derfor et ord manglede mig, bad Dikens mig sige ordet på dansk, og ofte traf det sig, at det var ganske enslydendemed det engelske.
英語を話したり聞き取ったりする練習を前にしていなくても, ディケンズが私に話すときは最初からほとんどすべてのことを私は理解できた。 また彼より私を速く理解した人はいなかった。 デンマーク語と英語は互いに非常に似通っているので二人ともしばしばその類似性に驚き, また私が言葉が出ないとき, ディケンズは私にデンマーク語で言ってくださいよと言った。 するとそれがかなり英語と音が似ていることがしばしばあった。


"Der er en grashoppe i den høstak!" ville jeg en dag sige, og da jeg gav det på dansk, oversatte Dickens det: "There is a grasshopper in that haystack."
「Det er en grashoppe i den høstak (乾草の山にバッタがいる)」と私は言いたくなってデンマーク語でそう言うと, ディケンズはそれを「There is a grasshopper in that haystack.」と訳した。


På bondens tag så jeg vokse en mængde grønt; jeg spurgte, hvad det her til lands blev kaldt, hos os var navnet 'husløg' -- og bondekonen, som vi spurgte derom, sagde 'houseleek', og således i det uendelige.
農家の家の屋根に大量に緑色のものが生えているのを見て, 私は「この国ではあれは何と呼ばれているのですか。 私の国では husløg という名前ですが。」と尋ねると。 私たちが尋ねたその農家の者は houseleek と言った。 このようなことは枚挙にいとまがない。 




無邪気にデンマーク語と英語の類似性を発見して愉しんでいるアンデルセン。 これを読むとディケンズとの意思の疎通もうまく行っていたかのように見えます。 がディケンズはそう思ってなかったようです。H.C. Andersen Information というデンマークのサイトには1857年のアンデルセンのディケンズ訪問について書かれており, そこにアンデルセンの語学力についてディケンズが友人ウィリアム・ジョーダンへ宛てた手紙の引用があります。 (もちろんディケンズの手紙の原文は英語で書かれていました。 サイトがデンマーク語なのでそのままデンマーク語訳を掲載します。)



Hans uforståelige sprog var ※1ubetaleligt. Når han talte fransk eller italiensk, var han som en vildmand; på engelsk var han som et døvstummeinstitut. Min ældste søn vil aflægge ed på, at intet menneskeligt øre kan genkende hans tysk, og hans ※2oversætterinde har ※3over for Bentley erklæret, at han ikke kan tale dansk!
彼の判別不明の言葉は値が付けられないほどだった。 彼がフランス語かイタリア語を話したとき, 野蛮人のようだった。 英語で話したときは口も聞けなければ耳も聞こえない人間のようだった。 私の長男は, どんな人間の耳だって彼のドイツ語はわからないと誓って言いたいと言ったし, 通訳はあの男はデンマーク語が話せないと明言した。


(注) 
※1 ubetaleligt (ubetalelig の中性形)は Gyldendals dansk-engelsk ordbog には 'priceless' と訳語が出ています。 priceless は「値段の付けられないほど価値がある」という意味です。 文脈からすると「価値がない」 valueless だと思います。 ubetalelig に「価値がない」という意味があるかデンマーク語辞典(Nudansk ordbog) で調べると形容詞としては som ikke kan betales 「払うことができない」という定義しかありません。 ただ皮肉で言っているともとれます。
※2 oversætterinde は上記のサイトの文では oversættelinde となっていますが oversætter (通訳・翻訳家)に女性を示す接尾辞 -indeが付いているのではないかと思い変えました。
※3 over for Bentley の Bentley が何を意味するのかわからず訳出していません。



かなりディケンズの言葉は辛らつです。 というのも一晩泊まって帰ると思った吟遊詩人が腰を据えてしまって5週間も長居をし, ディケンズ一家から総スカンを食らったからです。


上のサイトにも見えますが娘たちの言葉として He was a bony bore, and stayed on and on (彼は骨が見えるほど痩せこけたつまらない人でずっとずっと居続けた)とありますし, 六男の当時8歳のヘンリーの言葉として Den første morgen efter hans ankomst....sendte han bud efter min ældste broder til at barbere sig . Dette til stor irritation fra drengene og med det resultat at Andersen derefter korte til barberen hver morgen (彼が来てから最初の朝, 髭をそるために一番上の兄を呼びにやった。 これには姉たちは腹を立て結果としてアンデルセンは毎朝自分で髭を剃らなくてはならなくなった。)とあります。 また別サイトには, アンデルセンが去った後, ディケンズはある部屋に Hans Christian Andersen slept in this room for five weeks which seemed to the family ages. (ハンス・クリスチャン・アンデルセンはこの部屋に5週間泊まったが, 家族にして見ると何年もいたように思えた)と掲示したと書かれています。


                      


長居をして主人を嫌がらせることを英語で wear out someone's welcome (ダレダレの歓迎を擦り切らせる)と言い, デンマーク語では trække for store veksler på nogens gæstfrihed (ダレダレの客の無遠慮に対して多額の手形を振り出す)と言うようです。 アンデルセンはディケンズに多額の手形を振り出させ以降, 二人の間が疎遠になったのは言うまでもありません。


アンデルセンは14歳の時デンマーク王立劇場の俳優になるべくオーデンセからコペンハーゲンに上京しますが, Anne Margrethe Schall というダンサーを突然訪問して一方的にオーディションを申し込みます。 靴を脱いで彼女の前で帽子をタンバリン代りにして踊って歌ったところ気が狂っていると思ったダンサーはアンデルセンを追い出したというエピソードがあるように, アンデルセンは対人関係について言えば, 図々しい性格をしていたのかもしれません。


ところで家庭の危機を迎えていたディケンズはどうなったかと言えば, 1858年当時としては珍しい離婚という形で解決させました。 わざとエレン・ターナンへ宛てたアクセサリーをディケンズ家に届けさせキャサリンを怒らせて離婚を承諾させたとも言われています。  


ディケンズとターナンについてはもう1つエピソードがあります。 1865年6月に, ディケンズは彼女とその母親と3人でフランス旅行に行った帰り, ロンドン南東のステープルハーストで列車事故に遭ったのです。 作業員が列車が来るのに線路を外して作業をしたという過失から, 列車が鉄橋から転落したのですが, 運良くディケンズが乗っていた1等車両は川に落ちずに鉄橋からぶら下がった状態で済みました。 ディケンズは負傷者に気付けとしてワインを飲ませるなど救助活動をしますが, いわゆるPTSD(心的外傷後ストレス障害)になり, 5年後に他界するまでその苦しみが続きました。


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