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 英語に「猫はなかなか死なない」という意味の A cat has nine lives.(猫には九生がある)ということわざがあるが、まさにこの猫はその通りの『猫生』を送っている。  何度か命の危険に遭遇してきているのだ。  どこかの家で生まれたが何かの事情で捨てられたらしい。幼くして一つ目の『猫生』の危機を経験せざるをえなかった。 野良猫状態となった子猫の生存率は高くないのは、わざわざ統計を取らなくても明白だ。 これから生き延びるには運しかない。


 そして、初夏のある日、この家の庭にさまよって来た。 実は、このとき二つ目の危機を経験していた。 右わき腹にかなりの怪我を負っていたのだ。毛のない皮膚に傷口が絶えず見えている状態だった。しかしやはり猫は九生がある。 トタン屋根の照り返しの中生き延びた。  


 そのうちえさを与えるようになると、当然外猫として住み着くようになる。 やがて秋風が吹くようになり、軒下の、ぼろ切れのひかれたダンボール小屋をすみかとするようになる。 そして三つ目の『猫生』を使うことになる。
 ある夕方ダンボールの家の中をのぞくと、うずくまるだけでえさも食べていない。 翌朝、そのダンボールごと獣医のところへ行き、点滴やら注射やらしてもらい、薬と室内で面倒を見るようにという忠告と共に帰宅、家の中に入ることになる。  ただ寝るだけだったのが2,3日たったある夕方、突然、ミャーと鳴いて歩き出し、夕食を食べている人間の足元に擦り寄り、えさを求めて来た。 これが家猫になる第一歩だったのだ。


 が、すんなりと家猫になったわけではない。 ある晩、母親が自動車で郊外の田んぼかどこかへ連れて行ってほしいと言って来た。 この猫を捨てに行くと言うのだ。 彼女は足蹴りにするか尾っぽをつかむか意味もなく名前を呼ぶのが犬猫への愛情表現と思っているタイプの人間で、この猫にも気まぐれに愛想を見せる程度で、心底は所詮野良猫は野良猫という意識があったらしい。 動物より人間の方が好きな点が自分と違う。 飛行機が墜落して死傷者が何人出ただといったニュースを聞くと、「遭難した家族の人は気の毒に」などと思うのが一般的だが、自分の場合「あの飛行機の荷物室にペットの犬猫が乗っていたに違いない。 かわいそうに。」とマジに思うタイプなのである。 しかしこの四つ目の猫生の危機を乗りきるのは大したことではなかった。 この母親の言葉は無視すればいいのだから。  


 そして五つ目の、最大の猫生の危機を迎える。
 ある晩、仕事から帰ると薄暗い部屋のベッドの上に見なれない猫がいる。 口が妙に赤く大きい。明かりを点けて驚いた。 左目は大きく腫れ、大きく開けた口の中は歯が欠け血で真っ赤だった。 診察時間外だが急いでかかりつけの獣医にみてもらったが、誰かにバットか何かで殴られたらしい。 
 結局この事故のため左の前歯の一部を失い、さらに左目が慢性的に炎症になり、鼻の機能にも影響が出るのか、ときにえさの匂いがわからなくて、こちらからえさの近くに顔を近づけせないとどこにえさがあるのかわからないときもある。


 過去のいろいろな危機を乗り越えて老齢期に入ってた今は、食っては寝る、寝ては食うの完全な極楽ネコ状態である。まだ四つの命が残っているというのを知っているのか、のんきに幸せに暮らしている。 (このページの写真はまだこの災難に遭う前のなので左目もきれいなまま。 そして今のデブ猫前の状態でもある。)
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