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| zz17 | オムニバス編集 下記参照 |
White Christmas (Bing Crosby and others) ホワイト・クリスマス (ビング・クロスビーなど) |
1942 など |
| 動画 | (付) Puttin' On The Ritz (Taco) 踊るリッツの夜 (タコ) |
1983 | |
| ホワイト・クリスマス 歌詞(原詞・訳詞) 踊るリッツの夜 歌詞(原詞・訳詞) |
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| 『ホワイト・クリスマス』は私が中学3年生のとき英語の時間で先生がテープで聞かせ歌唱指導した歌です。 英語の授業の時間に歌を聞いたり歌ったりというのはそういつもあることではなく, (『モニー・モニー』『あなただけを』に中2の時のエピソードあり)とても感動したことを覚えています。 こんな程度のことで嬉しくなっていたなんて何とかわいい少年だったことか。 クリスマスの精霊といっしょに過去の世界に行った『クリスマス・キャロル』のスクルージみたいに, もし私が自分の過去に戻って中学3年生の私に出会ったら抱きしめてキスしてあげるでしょう(オエ)。 さて私的なことはともかく 『ホワイト・クリスマス』は1940年にアービン・バーリン(Irving Berlin)が書き1942年にビング・クロスビーがミュージカル『ホリディ・イン(Holiday Inn)』でマジョリー・レイノルズ(Majorie Reynolds)とデュエットしてヒットした名曲です。 動画 2007年版のギネス・ブックでシングルで今までに5,000万枚売れた全時代を通して最も売れたシングル盤(the biggest selling single of all time)としています。 さらに他にも数多くのアーチストによってレコーディングされています。 ここでは次の5人の『ホワイト・クリスマス』の第1連を集めてみました。 オールディズではないけれどそれっぽい雰囲気を出すのが得意な現役バリバリのマイケル・ブーブレ(1975年生まれ)以外は故人です。 カッコは録音時ただしフランク・シナトラは何年の録音のか不明。 ビング・クロスビー Bing Crosby (1942) フランク・シナトラ Frank Sinatra (1944/47/54) エルビス・プレスリ Elvis Presley (1957) オーティス・レディング Otis Redding (1968) マイケル・ブーブレ Michael Bublé(2003) 簡単に世に出る前の作者アービン・バーリンについて記しておきましょう。 (参考サイト) http://en.wikipedia.org/wiki/Irving_Berlin http://nfo.net/cal/tb2.html 他 アービン・バーリンは1888年5月11日ロシアのチュメニ(もしくはベラルーシのモギレス)生まれのユダヤ系ロシア人。 1889年に両親と7人の兄姉とニュー・ヨーク市マンハッタンのロウア・イースト・サイドに移住。 1896年父親が死亡後正規の教育を受けることなくいろいろな職種を経験したあとニュー・ヨークのバウリー地区(Bowery Distric)の安酒場の流しとなって歌い始めます。 そんなときに音楽出版社に雇われることになりました。 レコードのなかった時代, ヒット曲は楽譜の形で現れました。 いわゆる sheet music です。 音楽出版社は作詞作曲のできる者を雇って歌を作らせたのですが19世紀後半から20世紀前半のアメリカではニューヨークの14番街から28番街の通称ティン・パン・アレイに音楽出版社が集中し,この時代のアメリカのポピュラー音楽の象徴的な存在となっていました。 音楽出版社はミュージック・ホールで plug (歌手自らが歌って歌をプロモーションすること)して楽譜を売っていました。 アービングは後にサイレント映画界のスターとなる前のバスター・キートンが「スリー・キートンズ」としてティン・パン・アレイのトニー・パスター・ミュージック・ホールで歌っていた時代に, 歌を提供していました。 音楽出版社に雇われると言っても中には作曲の支払が前後不覚になる程度に酒をおごることがまかり通った時代で, これでアービングの生活が安定することはありませんでした。 1906年にチャイナタウンのペルハム・カフェPelham's Cafeの「歌うウエイタ」(歌ったりウエイタをしたり皿洗いをする)に就職します。 ライバルの cafe (ナイト・クラブやキャバレの類)の歌うウエイタの二人組が人気を博し出すとパルハム・カフェのオーナはアービングに歌を作るように命じます。 こうして店でピアノを弾いていたニコルソンというピアニストが作曲しアービングが作詞した"Marie from Sunny Italy"という曲が生まれました。 これを Joseph W. Stern & Co. という音楽出版社が37セントのロイヤルティで買ったのですが, これを機にアービングは今まで使っていた本名からペンネームのアービングになり, さらに別の店に打つって歌うウエイタを続けながらも曲作りをして出版社がそれを買うという日々が始まりました。 1910年代になると音楽出版社から彼に作詞作曲の仕事の依頼が来るようになりティン・パン・アレイを代表するソングライターとなりました。 アービン・バーリンは長寿を全うしたことでも有名で心臓病で亡くなったのが 1989年9月22日, 享年101歳でした。 アービングは楽譜が読み書きできなかったので(キーがF#かDm#以外の曲が書けないと言われているそうな)自分で歌って秘書に記譜させていたようで, 秘書に「ペンと取ってこの歌を書きとめなさい。 私が今まで書いた中で最高の歌を書いたのだ。 なんてことだ, 今でかつてこんな最高の歌は誰も書いたことがない」と興奮して言ったとか。 オリジナルの詞は暖かいロサンジェルスの人たちが北部の雪のクリスマスを夢見るというコミカルな内容で(『夢のカリフォルニア』の逆パターンですね), それを後に現在の形に書き換えたそうです。
【踊るリッツの夜】 同じアービン・バーリンの作品でも『踊るリッツの夜』は, 質素で清らかなホーム・ソングである『ホワイト・クリスマス』と正反対の, 華やかな煌びやかなスウィングとなっています。 オリジナルは1930年, フレッド・アステアやハリー・リッチマンによって歌われました。 これをジャカルタ生まれのオランダ人タコ(Taco Ockerse)が1983年9月に最高位4位になるリバイバルヒットをさせました。 これはビルボード史上最も年齢が高い作曲家によるランクインした曲だそうです。 原曲がヒットは1930年, アービング・バーリンが42歳のとき。 しかしタコによるリバイバル・ヒット時の年齢はなんと95歳! この記録は今後塗りかえられるのでしょうか。 タイトルや歌詞に出てくる Puttin' on the Ritz は直訳すると「リッツ・ホテルを着る」で, 「おしゃれをする」という意味の当時のスラングだそうです。 歌詞に Arrow collar というのがありますが, これは 1851年創業の Arrow 社のシャツの襟を意味します。 Arrow 社のホームページにある歴史(記述:英語)にも写真が見えるようにアロウ・シャツは高級で洒落た男のイメージを醸すアイテムだったようです。
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