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ze28   【EUROPEAN POPS SERIES】 
  Nathalie  (Gilbert Bécaud)
 ナタリー  (ジルベール・ベコー)  
1964
  原詞・訳詞 
別のページで取り上げる曲のため調べごととしていたら Pierre Delanoë という作詞家の名前が出てきました。 その作品の中にこの『ナタリー』があるのを発見。 そのとたん頭の中に ♪ ナタリ〜 というちょっと悲しげな一節が記憶の海の奥深くからぼっかり浮かんできました。 


1964年。 私は小学生でした。 そのときに聞いた曲なのか後年聞いた曲なのか自分のことながらわかりません。 ただ私は小学生にしてすでに哀愁が漂っていて, 『ワシントン広場の夜は更けて(1963年)』『ララミー牧場(1963年ごろ)のテーマ』『上を向いて歩こう(1961年)』『ウナ・セラ・ディ東京(1964年)』『夕陽赤く(1966年)』『夕陽が泣いている(1966年)』のような曲が頭の中で聞こえていたので, 案外この頃に知ったのかもしれません。


          


雪化粧の赤の広場,  ナタリーのブロンドの髪, 「私」の吐く白い息, ココアの湯気, 学生たちの笑い声, そして大学の一室の壁に映る二つの影。。 この歌を聞くと映画を見るように頭に光景が浮かんで来て楽しくなります。 詞というよりナレーションのような歌詞。 俳優でもあるジルベール・ベコーの歌唱力(作曲も担当)。 ロシア民謡を絡めたしゃれたアレンジ。 このような要素が曲作りに反映して, そのような楽しみを与えてくれるのでしょう。 


そしてもう一点, 書かなくてはいけないのは, この歌は作られた時代を反映している興味深い歌であることです。 戦後から始まった米ソの冷戦は1959年のキューバ革命, 1962年のアメリカのキューバ封鎖宣言で一つの頂点に達していました。 さらに1963年にはケネディ大統領が暗殺され世界の行く末がどうなるのか案じられたときです。 この歌はそんな時代背景のもとでズバリ, ソ連を舞台にして書かれています。 と言ってプロテスト・ソングの類ではありません。 親ソでも反ソでもない政治体制を越えた人と人との交流・友情(恋愛)が歌われています。 


こういう歌が「流行歌」になるフランスというのはさすが, です。


          


ジルベール・ベコーは1927年10月24日ツーロン生まれ。 幼少の頃からピアノに親しみ  Conservatoire de Nice に進学しますが, 第2次世界大戦中はレジスタンス運動に参加。 戦後作曲を始め1950年代になると自ら歌うようになり, そのエネルギッシュなパフォーマンスから「ムッシュ10万ボルト」とあだ名されました。 1950年代終わりからは俳優としても活躍するようになりました。 1961年に Et maintnant がフランスのみならず世界でヒット。  What Now My Love として歌詞は英訳されエルヴィス・プレスリーやアンディ・ウィリアムズ, フランク・シナトラなどによって歌われました。
2001年12月18日, セーヌ川に浮かぶ彼のハウスボートで家族に見守られる中, 肺がんでこの世を去りました。