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| ze16 | 【EUROPEAN POPS SERIES】 Comment te dire adieu (Françoise Hardy) さよならを教えて (フランソワーズ・アルディ) |
1973 | ||||||||||||||||||||||||||||
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| かつてちょっと教養のある欧米人が「日本文化を表すキーワードは何?」と尋ねられたら, wabi とか sabi と言っていました。 今, 欧米人に wabi や sabi を知っているか尋ねると 「sushi に塗ってある緑色の香辛料のこと?」 なんて返事が返って来ます。 21世紀の, 世界に通じる日本文化のキーワードは何か google でおもな「ローマ字言葉」を検索してヒット数を調べてみました。 (2004年11月上旬現在)
インターネットによる検索ということを考慮に入れても anime, hentai, otaku といった「ディープな」言葉が見えるところに日本文化の行く末が案じられます。 ではフランス文化を表すキーワードは何でしょう。 今はどうだか知りませんが, 少なくとも60年代70年代なら esprit(エスプリ), chic (シック), ennui (アンニュイ) といったところでしょう。 こんな言葉を身にまとった女性は, 繊細で物憂くおしゃれで知的。 60年代70年代の芸能人で言うとフランスワーズ・アルディがその代表ではないでしょうか。 60年代70年代が青春時代であった方にはもう一人なつかしいフランス文化を代表する「フランソワーズ」がいます。 文学者のフランソワーズ・サガン。 彼女は今秋(2004年)9月24日69歳で死去されました。 フランソワーズ・アルディは1944年1月17日パリ生まれ。 人形遊びと読書が好きな孤独な少女時代を過ごした彼女が音楽の世界に入ったきっかけは, 16歳の時, 大学入学資格試験の合格祝いにお母さんが買ってくれたギターでした。 母親と姉と慎ましく暮らしていたパリのアパルトマンにはラジオがなく, 当時の流行歌の影響を受けずに, 彼女は自分自身の世界を歌に託すことを覚えます。 そして1962年, 18歳の時, 自作の曲をひっさげてパテ・マルコーニ(日本ではオデオン)レコードのオーディションを受けますが落選。 しかしヴォーグ・レコードのプロデューサに認められ同年4月『男の子女の子(Tous les garçons et les filles)』(リアル・オーディオ30秒試聴)でデビューを果します。 当時としてはユニークな自作自演の少女の歌は, その歌い手の容姿も手伝ってフランスやヨーロッパ諸国でヒット。 60年代のフランス, イタリアのアイドル女性歌手「イエイエ娘」の1人となります。 彼女の名が一気に全フランス中で知られるようになったエピソードがあります。 1962年, 時の大統領ド・ゴールは大統領を国民の直接普通選挙によって選出する憲法改正案を提出, この国民投票が10月に行われたのです。 1960年代始めは世界的にテレビが普及したころです。 日本で言えば皇太子御成婚ような大きなイベントがあれば, 全国民がテレビに釘付けになるという光景も珍しくありません。 フランス国民もこの歴史的な選挙結果を見ようとテレビ速報を見守っていました。 そしてその結果がアナウンスされた直後, つまり視聴率が最も高かったときに, フランソワーズ・アルディはたまたま『男の子女の子』を歌うことになっていたのです。 彼女はただ自分の歌を歌うのではなく, 多くのフランス国民が注視しいている中, この選挙結果についてコメントを言いました。 18歳の少女歌手が政治について発言するというのは, 当時としてはセンセーショナルなできごとで, これが彼女のイメージを鮮明に国民の脳裏に焼き付けることとなりました。 その後, その容姿からファッション雑誌のモデルとして, またフランソワーズ・サガンの小説を映画化した『スウェーデンの城』などの映画に出演する女優として活躍し, さらにミック・ジャガーやボブ・ディランといった同業の歌手から(たぶん私的な関係も含み)注目されるようになります。 ボブ・ディランはアルバム Another Side of Bob Dylan (1964) で彼女に捧げた詩を添えています。 ほぼ世界中のフランソワーズ・アルディのEP, LPの発売年をジャケットとともにリスト化した超労作・超大作のホームページ Françoise Hardy Discographie(英語)によると『さよならを教えて』は本国フランスでリリース, ヒットした1968年にはなぜか日本未発売で1973年になって初めて日の目を見ています。 私個人がフランソワーズ・アルディを知ったのはヨーロッパの諸言語やポップスに興味を持った1970年代になってからでこの事実と符合します。 だから私にとってフランソワーズ・アルディはイエイエ娘の1人というより, ジュリアン・クレール, ベロニク・サンソン, ミッシェル・サルドゥ, ダリダ, ナナ・ムスクーリなどの当時のフレンチ・ポップスの歌手の1人に過ぎません。 しかしその容姿は「そこいら辺にはいそうもないカッコよさ」に満ちていて, 何か遠くのものに憧れる青い時代の私をくすぐりました。 でもそもそも男はフレンチ・ポップスなど聞かないものだし, ましてフランソワーズ・アルディなどトンでもない―と思っていましたから, 彼女のアルバム Françoise (日本発売1973年)を持っているというのは誰にも言わない私のヒミツでした。 言い訳がましく聞こえますが, 男の私がこのアルバムを買ったのは, 中に入っている『もう森へなんか行かない』という歌のタイトルに惹かれたからなのです。 若い頃の私は単に邦題がカッコいいから本を買う(そして途中で読むのを止める)癖があったので, フレンチやイタリアンのアルバムの選択基準もそんな感じでした。 原題は「逃げる」と意味の熟語 foutre le camp を使った Ma jeunesse fout le camp で, 全体で『私の青春が逃げていく』という意味です。 これが邦題では『もう森へなんか行かない』となったのですが, これがまた歌の雰囲気にぴったりで, 私にとっては邦題ベスト3に入る「名邦題」です。 foutre le camp は直訳すると「野営する, キャンプする」なので, 野営→自然→森 と発想が進んだのか, 1969年の芥川賞受賞作で当時話題になった庄司薫著『赤頭巾ちゃん気をつけて』からの連想なのか, ともかくうまい邦題です。 そしてその原題通り, フランソワーズ・アルディの青春も逃げています。 日本で言えば還暦を迎えてしまったかつてのイエイエ娘。 今はどうなったのでしょう? 答えは彼女のオフィシャル・ホームページにあります。 http://www.francoise-hardy.com/ (コピペしてください。) 全編 FLASH によるオシャレな作り。 さすがにフランソワーズ・アルディ。 フランス語といっしょに英語の表記もあります。 もちろん写真は豊富。 なんと60年代から現在に至る彼女のスナップを堂々と公開しています。 でもさすがに2000年代になると暗がりで撮った写真が多くなる。。。(私も暗がりだと自分でも惚れるほどイイ男なんだけど。。。) 『さよならを教えて』は Jack Gold 作曲 Arnold Goland作詞の作品でヴェラ・リン(Vera Lynn)が1954年に歌った It Hurts To Say Goodbye のカバーです。 ヴェラ・リン(1917〜)はイギリスの歌手・女優で1930年代からレコーディングを始め特に第2次大戦中は『イギリス軍の恋人(Forces' Sweetheart)』と呼ばれるほどの国民的歌手になったそうです。 スタンリー・キューブリック監督の映画『博士の異常な愛』のラスト・シーンで流れるまた会いましょう(I'll See You Again) 30秒試聴 で日本の映画ファンにも有名なようです。 フランス語の歌詞はジュ・テーム, 夢見るシャンソン人形, アイドルを探せでお馴染みの言わずと知れた大御所セルジュ・ゲインズブール。 Hなサイトのことをアドレスに使われるアルファベットのXから xxx と言ったりしますがこの歌は x がたくさん出てきます。 と言っても1960年代末のこと。 Hな意味はありません。 アーノルド・ゴーランドの陳腐で古臭い詞を Pyrex (パイレックス)とか Kleenex (クリネックス)なんていう固有名詞を散りばめたオシャレで小粋な歌詞に見事に作り変えています。 実は私はこの歌をヒントに x(クス) をふんだんに盛りこんだ歌詞を作り, 70年代初期に出回っていた GUTS なんていうギター雑誌の作詞コーナーに応募し入選して金一封5,000円也をいただいたことがあります。 クリネックスでコンプレックス隠して エセックスのオフィスでゼロックス みたいな感じで, その年の作詞コーナで入選したのは私だけだったのでちょっと自慢だったのです。 でも GUTSの編集部の方, ごめんなさい。 これって盗作? イヤ, 私個人はそう思っていないんですけど。。。 あの5,000円も「ひょっとして俺って作詞家になれるじゃん?」なんていう淡い夢も, 陽炎のごとく消え去ったことは言うまでもありません。 |
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