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z25   Summer Breeze  (Seals & Crofts)
  想い出のサマー・ブリーズ   (シールズ&クロフツ)
1972
 I'd Really Love To See You Tonight
             (England Dan & John Ford Coley)
 秋風の恋  (イングランド・ダン&ジョン・フォード・コーリ-)  
1976
想い出のサマー・ブリーズ     原詞・訳詞 語注 
秋風の恋   ←ちょっとキズ物 原詞・訳詞 語注
今回の vs は
1.「風」対決 
2. 「男性デュオ」対決
ともう一つ
3.「兄弟」対決
の3点セット。 特に3つ目の兄弟対決は, 兄弟で一つのデュオを組んでいる(例:エバリー・ブラザーズ, 狩人。。)のではなく兄弟で別のデュオを組んでいるという珍しいケースです。


70年代のヒット・チャート界に息子二人を送り出した父親はテキサス州のシェル石油のパイプ配管工の仕事をしていた E.W. Wayland Seals。 実は, 彼自身若い時アーネスト・タブ&ザ・テキサスやボブ・ウィルズ&ザ・テキサス・プレイボーイズといったカントリー・バンドでギターやベースを担当していた元ミュージシャンなのです。


そしてその二人の息子は兄のジム・シールズ(シールズ&クロフツ:1941年10月17日テキサスシドニー生まれ )と弟のダン・シールズ(イングランド・ダン:1950年2月8日テキサス州マッカメー生まれ)。


それではこの兄弟の軌跡を追ってみることにしましょう。


            
 

【シールズ&クロフツについて】
ジム・シールズは中学時代に一つ年上のダッシュ(本名ダレル)・クロフツ (1940年8月14日テキサス州シスコ生まれ)と知り合います。 ジムは9歳でテキサス州のバイオリン・コンテストで優勝していましたしダッシュの方はドラマーであり歌手であったという早熟のミュージシャンでした。


彼らは1958年『テキーラ』で同年のグラミー賞ベスト・R&Bパフォーマンスを受賞した, インストルメンタルを主にしたコンボバンド, ザ・チャンプス(The Champs) に加入します。 ジムはサックス, クロフツはドラムズを担当します。
このチャンプスには翌1959年に『恋はフェニックス』『ガルベストン』『ウイチタ・ラインマン』などのヒット曲を出したグレン・キャンベルもメンバーとして加入します


1960年, 20歳そこそこのジムとクロフツへの稼ぎは週給500〜600ドルだったというから大した物です。 しかし1962年ダッシュは兵役のため一時期バンドを抜けます。
一方ジムはジミー・シールズとしてソロのレコードを出し, 64年にダッシュが復帰したときはチャンプスには解散風が吹いていました。 
1964年にチャンプスは来日しているのですが, ジムはそのメンバーに入っていませんでした。 


1965年, ついにチャンプスは解散。 二人はソング・ライタートとしてまたスタジオ・ミュージシャンとして裏方の仕事をします。
ジムはモンキーズのセカンド・アルバムでサックスを担当しています。


マッシュルームズやドーンブレイカーズといったバンドに短期間在籍した後, 1969年シールズ&クロフツとしてTAレーベルよりデビュー。 2枚アルバムを出したあと1972年にワーナーに移籍し, デビューから通算4枚目のアルバム Summer Breeze をリリース。ここからカッティングされた同名のシングル Summer Breeze はビルボードで最高6位になる大ヒットとなります。


その後も"Diamond Girl," "We May Never Pass This Way (Again)" "Get Closer"とヒット曲を出し順調に事は進んでいたのですが1974年, 反妊娠中絶を主張するアルバム Unborn Child をリリースして順風は逆風になります。 中絶賛成派からの攻撃の的になりファンが離れ始めます。
欧米の中絶賛成派と反対派の対立は日本で考える以上に深く, 人気商売の人間にとって旗色を鮮明にすることは味方を得るとともに敵を作ることになるので危険を伴なうものです。


1970年代後半シールズ&クロフツは目立ったヒットもなく1980年にワーナーとの契約が切れると解散, 彼らは69年に入信したある宗教団体の活動に力を入れ始めます。
二人はその宗教の布教のためそれぞれ別々に世界各地に移り住みます。  現在はクロフツはアメリカに, ジムは中米コスタリカにいてコーヒー農園を経営しているようです。


【想い出のサマー・ブリーズについて】
アメリカの中産階級の住宅地の,なんの変哲もない穏やかな7月の夜のひとときを歌った歌です。
一日の仕事を終えて見える我が家の灯火を見てほっとする男。 彼は夏のそよ風が運ぶジャスミンの香りといっしょに,道路→玄関→フロア→台所と移動します。 その先に何あるのでしょうか。


同じ「家」が出てくる歌詞でも, 窓の外から見た家の中は血の海, そこに妻を寝取った男が倒れていたという「ジョージアの灯は消えて」のような事件性は全くありません。 
そこにあるのはごく日常的な平和な光景。 
この歌詞の主題は普通の暮らしの幸せといったところでしょう。 イントロとエンディングで聞こえる印象的なおもちゃのピアノの音色もそれを象徴しているように思います。


             


【イングランド・ダン&ジョン・フォード・コーリーについて】
1972年 シールズ&クロフツの『想い出のサマーブリーズ』がアメリカでヒットした年, 日本では『シーモンの涙(Simone)』が大ヒットしていました。 
それを歌っていたのがイングランド・ダン&ジョン・フォード・コーリー(以下 ED&JFCと略)です。
『シーモンの涙』は日本でしか流行らなかった洋楽の1曲です。 まだ ED&JFC が本国アメリカでは認められていなかった時代のことです。  


兄ジム・シールズとちょうど入れ替わるようにアメリカ・ヒット・チャートに顔を出したのが弟のダン・シールズでした。
イングランド・ダンという芸名は, イギリス人の真似がうまかったことからついた子供時代のあだ名に由来します。


イングランド・ダンことダン・シールズも兄ジム・シールズとと同様, 幼いときからいろいろな楽器をこなして来ました。 そして高校時代に, ジョン・フォード・コーリー(1951年10月13日生まれ)と知り合い二人は地元のバンドのメンバーになります。


シールズ&クロフツがザ・チャンプスというバンドのメンバーであったように, イングランド・ダン&ジョン・フォード・コーリー(以下 ED&JFC と省略)は Southwest F.O.B. というテキサス州ダラスの R&B/ロック系のバンドのメンバーでした。 
このバンドは1968年に Smell of Incense が58位になるヒット曲を出しています。


ED&JFC はこのサウスウエストFOBから分岐するような形でデュオを組み, 彼らの演奏前のいわば前座をするようになります。 このときにはアコースティックなサイモンとガーファンクル風の音になっていたようです。


二人は1969年テキサスからカリフォルニアへ移りチャンスをうかがいます。
1970年, シールズ&クラフツも在籍していたドーンブレイカーズというバンドのメンバー, ルイス・シェルトンの助けでA&M との契約にこぎつけ, 72年にデビューアルバム Fables をリリースします。 
しかしこの中からシングルカットされた『シーモンの涙(Simone)』は日本では大ヒットしたのにアメリカでシングルカットされた New Jersey という曲はトップ100圏外止まり。 アルバムの売上げも良くありませんでした。
結局 A&M をクビになってしまいます。


1976年 ミシシッピーの Parker McGee というシンガー・ソングライタの I'd Really Love To See You Tonight を聞いたマネージャがこれを気に入り, ED&JFC に歌わせてデモ・テープを製作, レコード会社に売り込みます。
アトランティック・レコードもその売りこみ先の一つですが, 成功しませんでした。 しかし壁越しにこれを聞いていたビッグ・ツリー・レコードのダグ・モリス(現ユニバーサル・レコード・グループのチェアマン&CEO)が代って手を挙げます。 
結果的には200万枚を売る大ヒットとなったのでした。


以降『眠れぬ夜(Nights Are Forever Without You/1976)』 『悲しみのかなたへ(It's Sad to Belong/1977)』 『愛の旅立ち(We'll Never Have To Say Goodbye Again/1978)』 『愛の証(Love Is The Answer/1979)』などコンスタントにヒットを出します。
ヒット曲が多い割りに彼らが「ああ, そう言えば。。」的存在に甘んじている理由は原題と邦題両方が覚えづらい点にあるように思えます。 何かインパクトがないような気がするのは私だけでしょうか。


しかしほぼ毎年, それなりにヒット曲を出していた彼らも, その優しいサウンドが刺激的なパンクとディスコの台頭には勝てず1980年に解散します。


解散後イングランド・ダンは国税庁に相当する内国歳入庁による資産の差し押さえを受け一文なしというどん底の時を経験しますが, カントリー・シンガー, ダン・シールズとして再出発したところ, これが大当たりしカントリー・チャートでは連続1位記録を作ったようです。 
一方, コーリーの方はもう「こーり懲り」したのか芸能界を一時引退。 90年代になってソロ活動を始めた模様です。



【秋風の恋について】
80年代はじめ, 日本ではオフ・コースが人気がありました。 どことなく彼らの世界に似た, 日本人向けの曲だと思います。


邦題も日本人好み風に「秋」など織り込んでいますが, コーラス部の there's a warm wind blowin' から見てこれは看板に偽りあり。 warm wind「暖かい風」は春の象徴で, 日本の「春一番」に当る the first warm wind 「最初の暖かい風」という表現もあります。
原題に関係なく風にこだわった邦題をつけるなら『春風の恋』にすべきだったのでしょうが, この歌が全米トップ10にチャートインしていたのが1976年9月。 それから判断して日本での発売は秋。 レコード会社としてはここは『秋風』にして秋の新譜のイチオシとしたのだと推測できます。


電話での「語り」を歌詞にしている歌です。 この手の名曲はジム・クロウチの『オペレータ』。 KISS の『ベス』もそうです。
この『秋風の恋』の場合は,一般的な会話表現が多く英会話の勉強向けと言えます。


イングランド・ダンとジョン・フォード・コーリの歌  シーモンの涙