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z21    Sugar Town  (Nancy Sinatra)
 シュガータウンは恋の町 (ナンシー・シナトラ)
付: These Boots Are Made For Walking
      憎いあなた
1966
vs
 Downtown  (Petula Clark)
 恋のダウンタウン (ペトゥラ・クラーク)
1964
シュガータウンは恋の町     原詞・訳詞     
憎いあなた        原詞・訳詞
恋のダウンタウン     原詞・訳詞
今回は town 対決。  あなたならどちらの町がいいですか。


         
 
60年代後半のヒット・チャートにチラチラ顔を出していたのがフランク・シナトラの娘ナンシー・シナトラ。 というより, あのころロック, R&B,フォーク, バブル・ガムといった若年層向けのジャンルの中に「シナトラ一族」と言ってもいい集団がデンと構えていたような構図があった気がします。 
それはフランク・シナトラ, ナンシー・シナトラ, リー・ヘイゼルウッド, ディーン・マーティンといったリプリーズ・レーベルの方々。


が, 70年代になるとパタッと彼らはヒット・チャートから姿を消してしまいます。
特にナンシー・シナトラの場合, 『憎いあなた』 『バンバン』 『サマー・ワイン』(with リー・ヘイゼルウッド),  『レディバード』( with リー・ヘイゼルウッド) 『ドラマーマン』 など数多くのヒット曲があっただけにちょっと不思議な感じもします。
ヒット曲など出さなくても, 活躍する場があったからヒット・チャートなどに執着心などなかったのでしょう。


なお現在の姿は彼女のオフィシャル・サイトを見るとわかります。
http://www.nancysinatra.com/home.php4


 
          


『シュガー・タウン』はリー・ヘイゼルウッドの作品。 2分40秒程度の小品ですが, シャレた詞と曲は時代を感じさせない普遍性があります。
ただ邦題の『恋の町』は看板に偽りあり。 「面倒な人間関係はいいから, 一人にしてくれない」といったテーマで陽気な恋の歌ではありません。 


どこか不思議な詞です。 
この詞についてナンシー・シナトラは彼女のオフィシャル・サイトにはこう書いてあります。
「公にはしなかったけど, これはLSDの歌で, ビートルズの『ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンド』のリー・ヘイゼルウッド・バージョンよ。 」


確かにビートルズの『ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンド』は当時,衝撃的な作品だったのでしょう。 当コンテンツでも『ジュディのごまかし』(ジョン・フレッドと彼のプレイボーイ・バンド)がこの歌をヒントに作られたのは紹介済みです。


しかしこの「内幕暴露」は衝撃的です。 『シュガータウンは恋の町』は洒落たアダルト・コンテンポラリーという感じこそすれ, これはタテにしてもヨコにしても, ドラッグの雰囲気は感じられません。 
まあ,これも60年代末から70年代初めにかけての「意味不明」な名曲の一つには違いないですが。


蛇足ですが, 詞の中にある Tallahassee は『ボクの君のブー』のロボの故郷。
それから詞には lay down とありますが, これた他動詞で正確な英語は lie down です。 ネイティブでも間違えるこの区別, 日本の中高生は気をつけましょう, テストによく出ます。



          


さて一方のペトゥラ・クラークの『恋のダウンタウン』は, 『シュガータウン』の「鬱」気味の詞とみごとに好対照, 徹底した「躁」の歌です。 
冗長な詞は繰り返し繰り返し「都会ってステキ!」と主張しつづけます。


今読むと滑稽ですらありますが, 東京オリンピックのときに出たこの曲, 当時の息吹は感じられます。
確かに, 都会は人を惹き付けますが, 今の時代, 都会といったら,コワイ, 汚い, 駐車場とカラスだらけ--- 「歌は世につれ, 世は歌につれ」という感がしますが。


ペトゥラ・クラークは当コンテンツ最年長の 1933年イギリス・エプソム生まれ。 
ソプラノ歌手の母を持ち, 1940年7歳で歌手デビュー。 子供ながらラジオの番組を持ち, 第2次世界対戦時には同じく子供タレントだったジュリィ・アンドリュースとのイギリス軍の慰問に出かけ, 1944年には A Medal for the General で映画デビュー。
つまり日本で言えば美空ひばりということでしょうか。 洋の東西で同じような芸能シーンがあったのはおもしろいですね。


1954年には The Little Shoemaker (直訳:小さな靴磨き)というこれまた, 時代を感じさせる曲をヒットさせ, イギリスの芸能界の代表者として活躍。 
そして60年代のイギリスの「世界進出」期に, この『恋のダウンタウン』が大ヒットしてその名がイギリス国外でも知られるようになります。
その後1968年『グッバイ・ミスタ・チップス』のような映画でも世界的なヒットを出し, 映画やミュージカルへ移行して行きます。  (1993年にはブロードウエイ・デビューというのは驚きですが)


さて, その1968年,アメリカでペトラ・クラークを巻き込み一大論争を引き起こす事件が起きます。
彼女がNBCテレビの番組 Petula でゲストのハリー・ベラフォンテが歌っている間, 彼の傍らに寄り添い彼の腕を取っていたので番組スポンサが番組を降りると言い出したのです。 
 問題のシーン



ハリー・ベラフォンテはジャマイカ人の血の流れる「黒人」であり, その黒人の隣に白人女性が立ち公共の面前で腕に手をやる―これは当時許されない行為だったのでしょう。 

事実,ある掲示板でこのテレビを見た白人女性が書いた書きこみを読むと, 今はそうは思わないが, そのシーンは「ショッキング」だったとあります。 
1964年に公民権法が制定されて人種差別的行為が禁止されるようになったにも関わらず, テレビなどという社会の最前線を行くメディアでさえ, このような事実があったことの方がショッキングです。


しかしペトラ・クラークは問題のシーンをカットするようにというスポンサの要望に屈せずオン・エアします。 ダスティ・スプリングフィールドもそうですが, いかにも「白人女性」というシンガーが人種差別に対して毅然とした態度を取る姿に感動します。 


このような事件も今は昔の1960年代的エピソードになっていることを願わずにはいられません。