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 The End of the World      (Skeeter Davis) 
 この世の果てまで      (スキータ・デイビス)
1963
   原詞・訳詞  
スキータ・デイビスは1931年ケンタッキー州ドライ・リッジの農家に生まれました。
本名はメアリー・フランシス・ペニック。 芸名の「スキータ」は地元の方言で「蚊(モスキート mosquito)」を意味します。 これは幼いとき彼女がちょこちょこ動き回りブンブンとうるさいというので祖母からつけられたあだ名です。 また「デイビス」は高校時代, 友人のベティ・ジャック・デイビスと「ザ・デイビス・シスターズ」を結成して以来の芸名です。
幼い頃からカントリー歌手になることを夢見ていたスキータの転機は, この友人ベティとのデュオ活動です。 地元で活躍したあと オーディションでRCAビクターと契約, 1953年に I Forgot More Than You'll Ever Know という曲を出し同年のトップ・カントリー・ソングとなります。
しかしこの1953年は, もう1つの意味でスキータにとって運命の年でもありました。 同年8月,交通事故に遭い, 相棒のベティをなくし, 彼女自身も重傷を負ったのです。
精神的にも肉体的にも傷ついたスキータは歌手活動をやめることも考えますが, 一時, ベティの姉妹とデュオを組んだあとソロ歌手となり, やがてアメリカのカントリー番組といったらこれしかない, という大長寿番組『グランド・オール・オプリ』のレギュラーになります。
カントリー界では名が知られるようになったあと, 1963年, この『この世の果てまで』がヒットし広くその名は世界中で知られるようになります。


70歳代になってもカントリー歌手として, また敬虔なクリスチャンとして歌手活動を続けいましたが,  2004年9月19日ナッシュビルのアライブ・ホスピスで癌により死去しました。 72歳でした。


        


さて, 『この世の果てまで』はいかにも1960年代初期らしい, ロマンチックな美しい曲です。 
1960年代はイタリア起源のヒット曲も多かったですね。 『月影のナポリ(ミーナ)』『砂に消えた涙(ミーナ)』『花のささやき(ウイルマ・ゴイク)』『夢見る想い(ジリオラ・チンクエッティ)』とか。 (グラスルーツの『今日を生きよう』ももとはサン・レモ音楽祭の曲です。 )
この『この世の果てまで』も詞やメロディを見るとアメリカンというよりイタリアンですが, アーサー・ケント作曲, シルビア・ディー作詞(ナット・キング・コールやダニー・オズモンドのヒット曲『トゥー・ヤング』 の作者)のれっきとしたメイド・イン・アメリカの曲です。 その証拠に第3節以降,スチール・ギターのカントリーっぽいオカズが入っています。 
詞は花鳥風月が出てくる「乙女チックな(死語)」古典的な詞ですが, 「もうこの世は終わりだ!」と思う時の気持ちが共感できる, 時代を超えた名詩だと思います。 スローな4ビートの旋律とよく合って今の時代, かえって新鮮な感じがします。 


【追記】
このページを閲覧された方(シマ**様)からの以下のご指摘がありました。
『エンドオブザワールドですが、普通、失恋の歌と思われますが、作詞者(と
歌手)は親しい人と死別したときの気持ちを歌ったそうです(以前読んだオールディーズ関係の翻訳本より)。』
ビートルズのある歌(『イエスタディ』?)がラブソングではなくメンバーの今亡き身内(ジョンの母親?)を偲んで作った歌であるというのが報道されたことがあるのを思い出しました。 


実は『イン・マイ・ライフ』を, ちょうどこの時に死んだ母親を思って小細工して, 勝手にラブ・ソングにならないように訳詞してしまったのです。 (後日談ですが, 一時『イン・マイ・ライフ』のアドレスを変更したとき, アクセスできなくなった方からメールをいただきました。  息子さんを亡くされた方で, あの曲とつたない訳詞に涙され, ぜひまたページが見られるようにとのご要望だったのです。 )


私は個人的に, 男女間の好いた好かれたという『ラブ・ソング』は好きでないので―といってもほとんどの歌はこの手ですが―『この世の果てまで』がこの類でないことを知り, 嬉しく思いました。