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78    Scarborough Fair    (Simon And Gurfunkel)
 スカボロー・フェア  (サイモンとガーファンクル)
1968
   原詞・訳詞  
『コンドルが飛んでいく』と同じく民謡を元にしたサイモンとガーファンクルの名作の1つ。
まずスカボローとはどういうところか調べてみました。 
場所はイギリス北東部ヨークシャイアにある海沿いのリゾート地。(地図) この町を紹介するサイトもありますが, 不思議なことにどのページを見てもサイモンのサの字もありません。
メニューにある Photograph gallery でどういうところか見てみると(ページが開いたら「search」ボタンをクリックします。)夕日の海の写真が多く, 北海の風を受けてどこか寒々そうです。 スカボロー城が観光スポットらしいですがその写真はリンク切れになっています。 (サイトの表紙にあるのがたぶんそれだと思います)。 この歌の雰囲気に合いそうなのは中央付近にある Scarborough town centre という中世の町並みを思わせる写真くらいで, ちょっと期待ハズレ。


そもそもこの歌はスカボローの民謡でもなく(スカボローは地名として使われているだけ), 60年代のフォーク・ソング・ブームに影響を与えたイギリスの民謡歌手マーチン・カーシー(Martin Carthy)のアレンジした曲で, 『スカボロー・フェア』をサイモンとガーファンクルがちゃっかり頂戴して自分たちのヒット曲にしたらしいです。 


そこでさらに歌詞について調べようと検索したら2つの興味深いサイトに出会いました。
(1) 『ローズマリーとタイム (Rosemary and thyme』 
(2) 『キャンブリックのシャツ (Cambric shirt)』(音声ファイルは WAV のみ)

どちらもアメリカ中部, ミズーリ州とアーカンソー州の州境にあるオーザクス山脈の周辺(地図)で収集した民謡を歌詞・音声ファイル付きで公開しているサイトです。
この2つのサイトにタイトルは違うが歌詞と旋律が互いに似通っている民謡があります。
旋律は全く違いますが, 歌詞は『スカボロー・フェア』に似た個所が幾つもあり, これらがスカボローフェアの元歌であることを十分に臭わせています。
( おもしろいのは歌詞にある地名がスカボローではなく(1)は Yondo's town  というところになっています。 これは (2) にある yonder wells (向こうの井戸)が崩れたのではないかと思います。)


言語も伝承物も発生地から離れたところに昔の形が残っているのが普通なので, このアメリカ中央部の民謡は, 大西洋を渡ってイギリスから渡ってきたままの形を残しているのではないでしょうか。 マーチン・カーシーの『スカボロー・フェア』は時代を経てまったく違う旋律になったか, 全く別の歌にこの歌詞を付けたか, またはカーシー自身が別の民謡を元に創作したかである可能性があるように思えます。


なお『スカボロー・フェア』にもありますが, 『パセリ, セージ, ローズマリー, タイム』は香辛料の名前で, これらは薬として使われていたので一種のまじない言葉ではないかと思います。 また『キャンブリック』は細糸で目のつんだ上質の白綿(麻)生地だそうです。

 
         


私は『スカボロー・フェア』はただの民謡を美しくアレンジした傑作として見るより, いつものごとく1960年代末の社会を映し出しているメッセージ・ソングの傑作と見るほうが適当と思います。 そう, この時代のヒット曲に見え隠れするベトナム反戦のメッセージです。

民謡の部分の歌詞は, 実現不可能なことが実現できたら想っている女性が恋人になれるといういかにも伝承文学的な内容を持つ悲しいラブ・ソングです。
2番からフーガのように民謡の行間にもう1つ別の歌詞が入って来ます。 それは始めは牧歌的な情景詩で, スカボロー・フェアーの詞に解けこんでいます。 特に2番目の最後の行の『山の子供達が眠っている』という1節など, 三好達治の「雪=太郎を眠らせ,太郎の屋根に雪降り積む。。」というのを髣髴させて美しいですが(私,小中学生向けの塾で仕事をしていたとき小学生に国語とか教えていたもんで, こういう詩の解釈みたいなの授業でしました。), しかしそれは「軍用らっぱの音も知らないで」という部分で一転して, 山を降りたところ(俗界)では戦争が起きているのだという伏線となり, 詞の雰囲気が変わっていきます。


3番のフーガの部分も墓石とか銃を磨く兵士という語がチラチラと聞こますが, まだ情景詩的です。 そしてたとえ戦争についてしか歌っていない4番を聞いても惨状が浮かびません。 2番のclarion (昔の軍用ラッパ)とか4番の scarlet battalion (緋色の陸軍兵士たち)という古風で詩的な美しい言葉を使ったり, クラシカルな楽器とアレンジ, そして控えめな歌声で, この戦争はまるでナポレオン戦争のような昔の戦争, 夢の中の戦争ではないかと思わせています。 しかし最後の『忘れてしまった大義のために戦う』という部分から, 実はこれが泥沼化したベトナム戦争であり, この歌は静かにベトナム戦争への反戦を歌っている歌であることがわかります。


サイモンとガーファンクルは『きよしこの夜〜7時のニュース』でもこれと同じ試みをしています。 『きよしこの夜』を背景に, マーチン・ルーサー・キングの公民権運動やニクソンの反戦運動批判を伝えるラジオ放送のニュースを入れています。 ここでも冷静なラジオのアナウンサーのニュースの読み上げと, サイモンとガーファンクルの静かな『きょしこの夜』のハーモニーで, 声高な社会批判の歌にはなっていません。 『コンドルは飛んでいく』もその詞は抑圧された人を取り上げたメッセージソングですから, 当時のサイモンとガーファンクルは, 他の同年代の若者と同じように社会に目が向いていたことは明かです。 しかし, どの曲もただの社会批判の歌ではない, 曲としての完成度の高さを感じさせます。
60年代がすでに歴史の一部になった今, 彼らの曲を聞くと感慨深いところもありますね。


サイモンとガーファンクルの他の曲:
コンドルは飛んでいく
サウンド・オブ・サイレンス
ボクサー