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154         Gypsies Tramps And Thieves   (Cher)
         悲しきジプシー (シェール)

1971
     原詞・訳詞
ジプシーというとヨーロッパ大陸にしかいないと思われがちです。 がアメリカ合衆国にも50万人から100万のジプシーが主に南部を中心に生活しているようです。 彼らは3つの大きな移民の波があるようです。 1つ目は開拓時代で,主にバージニアやルイジアナに移民しました。 2つ目は1860年代で,イギリスからセント・ルイス, ルイジアナ, フロリダなどに移民しました。  そして3つ目は20世紀の始めで, 主にルーマニアから移民しました。 


この歌はそのアメリカのジプシーを歌った非常に珍しい作品で, シェールのエキゾチックな風貌のおかげでリアリティのある一種のプロテスト・ソングとなっています。 なおジプシーについてボビー・ソロの『涙のさだめ』(原題 Zingara = ジプシー女)で少し触れています。


           


アメリカのジプシーを歌う恐らく唯一の歌である『悲しきジプシー』は, まだ当時は公私ともにソニー&シェールの片割れでありながら, 『バン・バン』(1966)以来のソロとして久々のスマッシュ・ヒットとなり, そしてこれからブレイクして行くことになる, シェールの記念すべき曲でもあります。  プロデューサは彼らをプロデュースしていたスナッフ・ギャレット。 彼の頭の中には1968年のダスティ・スプリングフィールドのヒット曲『サン・オブ・ア・プリーチャーマン』のような story-song があったと伝えられています。


歌の中には story-song と言われるジャンルがあります。 歌詞がそのまま物語になっているもので, 60年代末から70年代始めにかけてこの手のヒット曲が多く生まれました。 例えば, ボビー・ジェントリーの『ビリー・ジョーの歌』(1967), ジニー・C・ライリの『ハーパー・バレリー・PTA』 (1968), ゼーガーとエバンスの『西暦2525年』 (1969) ,  ヴィッキー・ローレンスの『ジョージアの灯は消えて』(1973) 。  また, シェールにはもう一つ story-song のヒット曲があります。 1973年の『ハーフブリード』がそれで, こちらもいずれ掲載予定です


この歌が『サン・オブ・ア・プリーチャーマン』を意識して作られたことを考えると, 2つの歌の詞に共通する部分があることに気付きます。 共に主人公は男と関係を持った年端の行かない女性。 そして『サン・オブ・ア・プリーチャーマン』は, その男の父親が説教師(preacherman) であり, 『悲しきジプシー』の場合は, 主人公の女性の父親が, 旅芸人でありながら preach a gospel (説教する)することもあったと歌われています。


また, この歌の結末はエルビス・プレスリーの『イン・ザ・ゲットー』(1969)を思わせます。 世代が替わってもその地位から抜け出ることのできない社会の底辺層にいる人たちの姿を, 「歌詞のロンド(回旋曲)形式」とでも言うべき技を使って表しています。  『イン・ザ・ゲット―』では, ある朝, 貧困家庭の住むゲットーに子供が生まれた―と歌が始まり, 子供が殺されたその朝ゲットーにまた新しい子供が生まれた―で終わります。  『悲しきジプシー』では最初のヴァースの主語の「私」を, 最後のヴァースで「彼女(=「私」の娘)」に変えることで, 旅芸人一家の世代が替わったことを表しています。


           


歌詞についての注釈
第1連 Doctor Good は何を意味するか不明です。 ただ『僕の歌は君の歌』にも書いたように昔は旅芸人の一座が薬も売っていたことを考えると, 薬の名前と見るのが妥当かと思います。
第2連 tramps は軽蔑語で「浮浪者」。 プロデューサのギャレットはスタッフの1人のトム・ストーンに曲作りを依頼, 彼はその翌日に Gypsies And White Trash というタイトルとしてこの曲を持って来ました。 直訳すると「白いクズ」となる white trash は, 特に南部の貧しく教養のない白人たちを意味するタブー語に近い軽蔑語ですから, さすがにこれは不採用になり, Gypsies Tramps And Thieves に収まったようです。 
第2連 But every night以下 は売春行為を暗示しているのではないかと思います。
第3連 Mobile はアラバマ州のメキシコ湾岸の都市。 フランス語風に「モビール」と発音します。 「モバイル」と発音すると携帯しながら使える電子機器のこと。 なおガソリンスタンドの「モービル」は Mobil と綴ります。 同じ連にあるメンフィスまでは直線距離にして500キロ。 東京と広島・岡山の県境間くらいの距離です。
第5連 in trouble は「未婚女性が妊娠している」という意味の口語表現です。


           


【シェールについて。 1970年代まで】 
 Wikipedia (英語版)からの情報をもとに, 簡単に1970年代までのシェールの軌跡をたどってみましょう。


シェールは1946年5月20日カリフォルニア州エル・セント生まれ。 本名は Cher Sarkisian LaPiere。 Sarkisian はアルメニア難民の実父の苗字で, LaPiere は継父(恐らくフランス系)の苗字です。 実母はチェロキー族+アイルランド+ドイツ+イギリスの血を引く元女優でした。


失読症(中枢神経の障害で字が読めなくなる病気)のため1962年, 16歳で高校中退し, 同じ年にロサンジェルスのカフェでフィル・スペクターのもとで働いていたソニー・ボノ(当時27歳)と知り合います。 2人は意気投合し, ソニーは彼女のために曲を作りプロデュースを始めます。 なかなか芽が出ない下積み生活のアと, ソニー&シェールのデュオになった1965年に『アイ・ガット・ユー・ベイブ』がヒット。 同じ年に, シェールのソロ『バン・バン』もヒットし, 一躍スターになります。 しかしソニーがビートルズの『イエロー・サブマリン』を向こうに張って作った映画が失敗。 さらにシェールのために仕掛けた映画も失敗。 60年代末の群雄割拠のポップス界で苦戦を強いられます。


1970年になって二人の初のテレビのショウが評判になり, テレビ局から声がかかるようになり, 再び息を吹き返します。 その中で1971年に『悲しきジプシー』が全米第1位になるヒット。 さらに1973年にもアメリカの少数民族を歌うという同じ系統の歌『ハーフブリード』もヒットします。 


 1970年代のシェールを象徴するのが1975年3月17日号の雑誌 Time 誌の表紙。  そして同年にソニーと離婚し, オールマン・ブラザーズ・バンドのグレッグ・オールマンと結婚します。 しかし4年後に離婚。 その後もキッスのジーン・シモンズやボン・ジョビのリッチー・サンボラなどロッカーたちとの交際し見かけも私生活も派手になって行きます。


イメージ検索によるシェールの姿 (無関係のイメージもあります)


シェールは現在世界で最も金のある芸能人の1人で, カリフォルニアのマリブに2,500万ドルの豪邸, ウエスト・ハリウッドに450万ドルのマンションなど世界に20軒以上の持ち家があり, 現在は住んでいるラスベガスのシーザース・ホテルの2008年までの契約は6,000万ドルだそうです。