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| 151 | Your Song (Elton John) 僕の歌は君の歌(ユア・ソング) (エルトン・ジョン) 付: Daniel ダニエル |
1970 1972 |
| 僕の歌は君の歌 |
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| ダニエル |
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| 2005年12月5日にイギリスで新しい civil partnership law が施行されました。 この法律により同性同士でも異性の婚姻と同じ相続や税上の優遇を受けることができるようになりました。 そしてその法律の施行後2週間ほど経った2005年12月21日, 58歳のエルトン・ジョン卿(彼は Mr. Elton John ではなく Sir Elton John なのです)が11年間付き合っていたパートナの42歳のデイビット・ファーニッシュと結婚式を挙げました。 チャールズ皇太子とカミラ・パーカ・ボウルズとのロイヤル・ウエディングが行なわれたウィンザーのギルドホール(google イメージ検索)での挙式でした。 エルトン・ジョンは1984年にスタジオ技術士のレナート・ブローエルと結婚し4年後に離婚していますから, 再婚ということになります。 エルトン・ジョンが同性愛者であることを匂わせていた曲は『ダニエル』です。 歌詞の中にこの歌が同性愛者の歌であることははっきりと書かれています。 一方, エルトン・ジョンにとって初めての世界的なヒットになった『僕の歌は君の歌』の歌詞には明白に男から男へのラブソングであることを示す言葉はありません。 3行目に boy という言葉がありますが, これは「少年よ」と呼びかけているのではなく間投詞的に使ったと見る方ができますし, それが適当と思います。 ここで注目してほしいのはブリッジの You can tell everybody this is your song です。 これはこの歌の「決めゼリフ」である How wonderful life is while you're in the world と劣らず重要であり, また意味があります。 もし男から女へのラブソングであればこの部分は みんなに言っていいんだよ 「私の彼が私に作ってくれた歌なの」って。 とでも解釈できますが, これでは嫌みったらしいお惚気です。 しかし, 男から男へのラブソングであるとすると, この部分が別の意味合いを持ちます。 この歌が歌われたころは人種差別や性差別への「闘争」が盛んでした。 同性愛の解放運動もこれらと並ぶ, 社会の弱者が声を上げた時代の象徴です。 私には You can tell everybody 「みんなに言っていいんだよ」 という言葉が, 同性愛者が社会の偏見に負けずに自分に誇りを持って生きるよう訴えているように思えるのです。 やはりこの歌も男から男へのラブソングとして捉えるのが正しいと思います。 少なくともエルトン・ジョンが歌う『僕の歌は君の歌』はそう見るべきです。 そういう風に解釈すると, この歌がどんなにか純粋で美しくそして(社会的には許されていないと言う意味で)哀しいラブソングであるかが伝わってくるような気がします。 【バーニー・トーピンについて】 エルトン・ジョンについては今更ここに書きません。 もっぱら『僕の歌は君の歌』とその歌詞を書いたバーニー・トーピン(Bernie Taupin)について触れることにします。 バーニー・トービンは1950年5月22日イングランド東部のリンカンシャー州のアンウイックという田舎町に生まれ。 若い時から反抗的で16歳で高校を中退, 今で言うフリータの状態になります。 しかし世に出るチャンスはかなり早くから訪れます。 1967年, 17歳のときにニュー・ミュージック・エキスプレス誌に掲載されたリバティ・レコードのA&Rマンのレイ・ウィリアムズの作詞家募集の広告に応募します。 リバティ・レコードはバーニーは不採用としますが, レイ・ウィリアムズは彼の才能に目をつけ, Reg Dwight という20歳の作曲家とコンビを組ませ, 音楽出版社 Dick James Music の専属ソングライターとします。 Reg Dwight はやがて Elton John と名前を変え, こうしてエルトン・ジョンとバーニー・トーピンのコンビが生まれました。 17歳の少年に仕事を与えたレイ・ウィリアムズの眼識力に驚かされますが, 孤独の世界のPFスローンも16歳でA&Rになっていますから, 60年代の商業音楽界というのが刷新の意気込みに溢れていたということでしょう。 彼らはルルやブライアン・キースなどのための曲を作りますが, やがて彼ら自身のための曲も作り始め 1969年にはデビューアルバム Empty Sky を出しますが売れませんでした。 しかし翌1970年に Elton John をリリース。 この中の『僕の歌は君の歌』がイギリスはもとよりアメリカでもヒット一気に彼らの名前が世界に知られるようになります。 以降, エルトン・ジョンと多くの曲を作りますが, 考えの相違や感情の摩擦が考えの相違や感情の摩擦が生じるようになり, 1976年コンビ解消となります。 エルトンと別れた後, バーニーは子供のときから憧れていたアメリカに居を移し,エルトン以外の歌手に作品を提供したり, 自身の朗読による詩のアルバムや自身のバンド Farm Dogs によるアルバムなどもリリースします。 しかしエルトン・ジョンと完全に不仲になったわけではありませんでした。 1983年にはエルトンとのコラボレーションが再び始まり, 1987年のダイアナ妃の葬儀に際し, Candle In The Wind を書き直すとこれをエルトン・ジョンがこれ歌い, 世界で最も売れた曲の作詞家となります。 さて『ダニエル』(や『僕の歌は君の歌』)のような同性愛の世界を書いたバニー・トービンですが, エルトン・ジョンとの間にそのような関係はあったのでしょうか。 恐らくなかったでしょう。 ただエルトン・ジョンはバーニーに自分の「性向」を告白していたかもしれません。 それで『ダニエル』(や『僕の歌は君の歌』)のような歌を書いたという推理はできるかと思います。 ともかく当初から二人は顔を合わせて仕事をするというより, バニーは歌詞ができるとそれを FAX でエルトン・ジョンの所に送るという体制でと取っており, 現在もカリフォルニアの牧場で暮らすバーニーとエルトン・ジョンはメールで交友関係を保っているということです。 【『僕の歌は君の歌』の歌詞について】 バーニー・トーピンの歌詞は意味不明な部分がときにあることで有名です。 『僕の歌は君の歌』も解釈に苦しむところがいくつかあります。 ここではそれについて触れておきます。 (1) 6行目 Or a man who makes potions in a travelling show potion は薬で love potion とすれば恋の媚薬となることはサーチャーズの『ラブ・ポーション No9 』でお馴染みです。 これと travelling show (旅回りの見世物)との組み合わせは, 19世紀のアメリカで流行ったいろいろな出し物を見せながら薬を売っていたことが背景にあります。 これは別名 medicine show と呼ばれテレビや他の広告媒体のなかった時代に威力があったようです。 日本では富山の薬売りのおじさんが紙風船を持って回って来ましたけどね。 それから medicine show というと The Cover of the Rolling Stone などのヒットがある Dr.Hook & the Medicine Show を思い出します方もおられるかもしれません。 travelling show はアメリカ特有もののです。 アメリカに憧れていたバーニーは詞の中でアメリカの風物を使うことがあるようですが, これもその例と言えるでしょう。 (2) 13行目 I sat on the roof and kicked off the moss 「ボクは屋根に座って 苔をけちらした。」といった感じの意味で奇異に聞こえる1行です。 しかしこれが歌を作っているときの様子を歌っている部分であることから考えると, おそらくバーニー自身の実体験を歌ったところではないかと想像できます。 バーニーはイングランドの田舎で育ち, その影響が彼の詞(詩)の中に現れることが多いと言われています。 この部分はその1つでしょう。 そう考えるとこの1行は歌詞の中に自然に収まるように思えます。 (3) 16行目 But the sun's been quite kind while I wrote this song 主節は現在完了進行形で while 以下の従属節は過去形。 while は「〜する間」で二つの節は意味上同時性があるのに, 時制が合いません。 私は But the sun was quite kind while I wrote this song として訳しておきました。 (4) 18行目 So excuse me forgetting but these things I do You see I've forgotten if they're green or they're blue この歌の中で最も意味不明な部分。 まず excuse me forgetting は標準的には excuse me for forgetting か excuse my forgetting となるでしょう。 中には excuse me for getting としている歌詞サイトもありますが, これは文法的にはあっていても意味が通じません。 次に these things I do が何を指しているのかわかりません。 そしてその次の行の they は these things を受けていると思われますが, 「ボクがするこれらのことが green なのか blue なのか忘れた」と訳すことになり, これまた意味がわかりません。 green や blue が比ゆ的な意味で使われている可能性もありますが, それにしても何を暗示しているのか解釈に困るところです。 do を forget の代動詞とすれば「忘れたもの」が green か blue かとなり, 次の行にある your eyes を示唆していると取ることができます。 |
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