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140    Nights in White Satin    (The Moody Blues)
 サテンの夜  (ムーディ・ブルース)
1967
1972
   原詞・訳詞  
ムーディ・ブルースについて  サテンの夜について
中学時代, レーベル・オタクであった私は, レーベル名の意味や語源を片っ端から英和辞典で調べて「レーベル研究」に勤しんでいました。
Capitol 「国会議事堂」  Liberty 「自由」 Atlantic 「大西洋の」 Stateside 「アメリカの」 Victor 「勝利者」  Globe 「地球儀」 ... 
おかげで中学生にして Immediate 「すぐの」などという高級な単語を覚えることができましたし, Electra complex 「娘が持っている父親に対する潜在的なコンプレックス」などという心理学の専門用語も知ることができました。(注:レーベル名は Electra ではなく Elektra です。)


しかし意味が判明したレーベル名は少数で, 大多数の名前は辞書に収録されておらず意味も語源も謎のままでした。 
その謎の名前の一つが Deram 。

デラム。 その響きと角張ったシンプルなロゴはレーベル・オタク少年の魅了しました。 ホーム・ルームの議題が「異性との交際について」などとなるころ, 私をゾクゾクさせたのは女の子よりレーベルのロゴの曲線だったり直線だったりしたのです。


しかしデラムちゃんにちょっと片思いの私に, 無情なことに初心者向けの英和辞典は応えてくれませんでした。  deram という語は載っていません。 いや, どんな大きな辞書にも収録されているわけがありません。 これは英デッカ・レコード(日本ではキング・レコードからロンドン・レーベルとして発売されていた)が1966年生み出した Deramic Sound System という音響技術を使うレコードのために造語だったのですから。
deramic 自体も造語で辞書には載っていませんが, 恐らく Decca と 「パノラマの;広々とした」 という意味の panoramic の合成語だと思います。
なおデッカ(Decca) は, もともと1914年にイギリスのBarnett Samuel & Sons 社のポータブル蓄音機 Dulcephone を海外に輸出する際のブランド名として全世界の言語で発音できる音を考え Dulcephone の D とイスラム教の聖地であり憧れの土地という意味の Mecca を合成して作ったのではないかと言われています。( http://www.cris.com/~oakapple/gasdisc/decca_meaning.htm より)  
レコード会社のデッカは1929年にエドワート・ルイスによってイギリスに設立され, 1934年にはアメリカ支社として前ブランズウィック・レコードのジェネラル・マネージャ,ジョン・キャップの名から付けられたキャップ(Kapp)レコードがスタート。 主要アーチストのビング・クロスビーの成功によってデッカ・レコードは一躍英米のトップ・クラスのレーベルに成長します。



デラム・レコードやデラミック・サウンドについては Strange Days という日本の音楽雑誌が数回に渡って特集を組んでいます。  本当はバックナンバーを求めてこれらの全容を掴みたいところですが時間も金もないので今回は, デラム・レコードに所属していたアーチストで後に他のレーベルに移籍して花開いた二人の男性シンガーのデラム時代のアルバムを聞いてみることにしましょう。  共にリンク先のページ中央付近に全曲30秒試聴ができるようになっています。


        


ムーディ・ブルースについて】 サテンの夜について  デラム・レコードについて
さて, このデラミック・サウンド・システムのプロモーション用に作られたのがムーディ・ブルースのコンセプト・アルバム『Days of Future Passed』。 そしてそのアルバムの最後に収録されているのが『サテンの夜』です。 
ここをクリックすると Days of Future Passed の全収録曲の30秒試聴ができます。


なぜムーディ・ブルースが英デッカが社運をかけて開発したデラミック・サウンドのプロモーションと関わるようになったのか, ここで彼らのバイオグラフィを簡単に添えておきましょう。


ムーディ・ブルースの母体はイギリスのバーミンガムのアマチュア・バンド  El Riot & the Rebels です。 このバンドにいたのがレイ・トーマス(1941年12月29日生まれ)とマイク・ピンダー(1942年12月27日生まれ)。  それなりに地元では人気のあるバンドだったらしいのですが, やがてピンダーはバンドを抜け兵役へ。 しかし復帰後1963年に再び彼らは別のアマチュア・バンド the Krew Army を結成しビートルズと同じようにドイツ遠征をし, ここでもそれなりの成功を収めます。


1964年, 彼らはプロになることを決意し広告でメンバーを募集します。 そして集まったのがグレアム・エッジ(1941年3月30日生まれ), デニー・レイン, クリント・ワーウィックの3人。 バンド名を The Moody Blues としてバーミンガムでデビューします。


敏腕なマネージャのおかげでツアーも始まり, ほどなくローリング・ストーンズ, エリック・クラプトン, ヤードバーズ, アニマルズなども出演していたイギリスのロック, ジャズ, R&Bの登竜門ロンドンのマーキー・クラブにブッキング成功,  ついにデッカ・レコードと契約するに至ります。 


1964年8月のデビュー曲は不発で終わったものの11月にリリースしたベシー・バンクスというアメリカのR&Bシンガーのカバー曲 Go Now (30秒試聴)はイギリスのヒット・チャート第1位になり, さらにアメリカに逆輸入されここでもヒットしました。  
このおかげで彼らはビートルズのアメリカ公演に同行するというチャンスにも恵まれますが, 肝心のレコードは Go Now 以降ぱっとしません。 こういう時, バンドのメンバーには自分の将来の不安を感じるのでしょう。  1966年春にワーウィックが, 夏にはレインが去って行きます。 
こうしてR&Bを基調の音作りをしていた, いわば第1期ムーディ・ブルースの幕は下ります。


そして1966年の終わり, 「もっとも一般的に知られている」ムーディ・ブルースが誕生します。  抜けたメンバーの補充として El Riot & Rebels にいたジョン・ロッジ(1945年7月20日)とジャスティン・ヘイワード(1946年10月1日生まれ)が加わったのです。
新たなメンバーが参加してもしばらくは前のサウンドを継承して行きますが, ヘイワードとピンダーは, また別の方向性のある曲も作っていました。


ちょうどこのころイギリス・デッカ・レコードは前述のデラミック・サウンドを完成, 大々的にプロモートするために, 実験的なレコードをリリースするためのバンドを摸索していました。 プロデューサ, トム・クラークがたまたまヘイワードの作った曲を聞き, オーケストラとロックの融合した, 今風の言葉で言えばハイブリッド・アルバムを思いつきます。 
こうして生まれたアルバム Days of Future Passed とシングル『サテンの夜』は, イギリスや日本で注目されます。 がアメリカでは曲が長すぎるというので Tuesday Afternoon がシングル・カットされ, 『サテンの夜』は長い夜のまま日の目を見ることはありませんでした。 
そんなアメリカで売れたのはイギリスで発売されて5年も経過した1972年のこと。 
西海岸のあるラジオ局から徐々に火が付き最終的にはビルボード最高位2位になるヒットとなります。


ムーディ・ブルースは, ピンダーは独立し, レイ・トーマスは2002年に引退したものの, 残りの3人は今も仲良くバンド活動をしています。  そして多作のバンドであり, その音楽も多様です。 
『サテンの夜』に代表されるプログレ系もあれば『ライド・マイ・シーソー』(30秒試聴)のような軽快なコーラス物もあり, さらに日本でしか流行らなかった『秋はひとりぼっち(ビグラスとオズボーン盤)』(ムーディ・ブルース盤=30秒試聴)のようなバブルガムもどき系もあります。 2003年には家族向けクリスマスアルバムまで出していて, 超スタンダードの『ホワイト・クリスマス』なども歌っています。 (30秒試聴


全発売曲リストはここをクリック
一部のアルバム試聴はここをクリック


ムーディ・ブルースのオフィシャル・ホームページ
http://www.moodyblues.co.uk/home.htm
マイク・ピンダーのオフィシャル・ホームページ
http://www.mikepinder.com/


      


サテンの夜について】 ムーディ・ブルースについて デラム・レコードについて
作詞・作曲はメンバーのジャスティン・ヘイワード。  編曲・指揮はピーター・ナイト(Peter Knight)。 演奏はロンドン・フェスティバル・オーケストラ。
ドボルザークの『新世界』のロック・バージョンを意識して作られたこの曲は上記にも触れましたが Days of Future Passed という, 朝から夜までの一日を詞と音にして表したいわば組曲の最後に収められている曲です。


クラシック風にアレンジされたポップスが60年代後半には多く現れました。 
恐らくビートルズの『イエスタディ』(1965)や『エリノア・リグビー』(1966)がその走りなのだと思います。 
以降, プロコル・ハルムの『青い影』(1967)やバロック調三大ポップス(と私が勝手に名付けている)ティンカーペルス・フェアリーダストの『誓いのフーガ』,アフロディテス・チャイルドの『雨と涙』, ポップトップスの『涙のカノン』(以上1968)などが日本の洋楽ヒットチャートに登場しました。  マーマレードの『リフレクション・オブ・マイ・ライフ』(1970) も同系の曲と言っていいかもしれません。
このようなクラシカルなポップスの中で,  『サテンの夜』ほど「重厚な軽音楽(ポップス)」はありません。  デッカ・レコードが社運をかけたデラミック・サウンド(「豊かで広がりのある, きれいなステレオ・サウンド」)のプロモーションにふさわしい作品となっています。 


      


さて詞の方はと言うと, 伝えたいことはコーラスの I love you に集約できるのでしょうが, 他の部分は今一つ, 言っている意味がわかりません。 そもそもタイトルにもある「サテンの夜」とは何か。 これはアラビアかどこかの地名でもなく, まして喫茶店でもなく, 光沢のある布地のサテンのことです。 といってわからない方のためにイメージ検索
作者のジャスティンが, 贈り物としてもらった白いサテンのシーツからインスピレーションを得て作った作品だそうですが, 「サテン」の持つちょっと艶かしいイメージと「夜」が結びついて絶妙な語句の選択と思います。


それでもわかったようなわからないようは歌詞であることに変りありません。 しかし, この歌が作られたのが1967年であることを考えるとそれも納得できます。 この頃はサイケデリックの全盛期。 訳のわからないトリップ気味の歌詞は当時の流行でした。 何を言っているのだろうと理屈を考えるよりは, 感覚に身を委ねて愉しむタイプの歌詞なのでしょう。


なお 「サテンの夜」のエンディングに続き, ムーディ・ブルースのドラマー, グレアム・エッジによる詩 Late Lament (直訳:夜更けの悲嘆)がエピローグとして, キーボード担当のマイク・ピンダによって朗読されます。 この詩も「サイケデリック派」の作風で意味が掴みづらい部分がありますが, 朗読すると響きが心地よい文学的な香りのする英詩です。  (当コンテンツには歌詞・訳詞は掲載していますが音声は収録されていません。)