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| 136 | 【誰も知らない,聞きたがらない曲シリーズ】 Love Can Make You Happy (Mercy) ラブ・キャン・メイク・ユー・ハッピー (マーシー) |
1969 |
| 原詞・訳詞 | ||
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| リクエストが溜まっているのに「誰も知らない聞きたがらない曲シリーズ」など出してしまい, まずいかなーと思っています。 でもこの『ラブ・キャン・メイク・ユー・ハッピー』は数多い「一発屋もの」の中でも, 歌を巡るドラマ(?)のある「おいしいネタ」の一品であります。 多少私の趣味の世界に走っていますが, おつきあいください。 マーシーはフロリダ州中部タンパ市のイースト・ベイ高校とジェファーソン高校出身の男性4人, 女性2人のガレージ・バンドです。 1968年彼らはチャールズ・フラー・プロダクション(ロイヤル・ガーズマンの『スヌーピーとレッド・バロン』をプロデュースしたところ)のスタジオで『ラブ・キャン・メイク・ユー・ハッピー』を録音し, 地元のレーベル, サンディ(Sundi) レコードに預けます。 このサンディ・レコードはギルバード(通称ギル)・キャボットという人物がオーナーのレーベルでした。 彼は15歳のときから地元WALTラジオでDJをやっていたそうで, その後サンディ以外にパリ・タワー・レコードなど複数のローカル・レーベルを作ったタンパの音楽界のドンでした。 さてキャボットはどういう理由が不明ですが, 『ラブ・キャン・メイク・ユー・ハッピー』をそのまま1年間放置。 その間にマーシーは解散します。 そして1969年になってキャボットは『ラブ・キャン・メイク・ユー・ハッピー』をこれまたどういう理由かリリース。 これがイースト・コーストでじわじわとヒットし始めます。 しかしバンドは存在しない。 そこでキャボットに妙案が浮かびます。 奥さんとその友人の3人でマーシーを結成して自分たちが歌っていることにし, アルバムを作成, さらに営業も始め一儲けをたくらんだのです。 これがその「偽」マーシーの, 当時の安っぽいファッションが微笑ましいアルバム・ジャケットです。 ![]() このジャケット, 巧妙にできています。 一瞬 Mercy とか Love とか Original Hit Recording という文字を見て「あのマーシーだ」と思わせて, よくタイトルを見ると Mercy に The が付いている上, The Mercy & 'Love' Can Make You Happy となっていて曲のタイトルだかグループ名だかわからなくなっています。 もしクレームが来たら「いや, これは『マーシー』ではなくて『ザ・マーシー&ラブ』ですから」と言う逃げ口上に使ったのではと思わせます。 もっとも本物のマーシーが再結成されることになり, この「偽」マーシーはあえなく消滅。 しかしこのアルバムはキワモノとして貴重なものとなっているでしょう。 一方, 解散していた本物のマーシーの方はといえば, キャボットのいい加減な性格が幸いし, サンディ・レコードや音楽出版のギル・キャボット・エンタープライズとの契約がきちんとなされていなかったため他のレコード会社からレコードを出すことが判明。 これに目をつけたのがマイアミでマーリン・プロダクションを経営してたヘンリー・ストーン。 彼はマーシーと契約をします。 このヘンリー・ストーンはのちに TK レコードを経営, KC&サンシャイン・バンドと契約するなど, 1970年代のディスコ・ブームの仕掛け人でもある人です。 この1921年生まれのプロデューサの興味深い記事は 下記アドレスにあります。http://www.discomusic.com/people-more/57_0_11_0_M78 (英語) 同じころ『ラブ・キャン・メイク・ユー・ハッピー』のヒットの兆しに注目していたのがワーナー・レコードのプロデューサ, ジョセフ・B・スミスという人。 彼はロサンジェルスからマイアミに飛ぶとヘンリー・ストーンと会い, 彼のレーベル, マーリン・レコードのレコードをワーナーから配給する契約を結びます。 マーリン・レコードはプロデューサのブラッド・シャピロと歌手のスティーブ・アレイモに本物のマーシーのレコードの作成を依頼し, ここにワーナー盤(マーリン盤)の『ラブ・キャン・メイク・ユー・ハッピー』が誕生します。 スティーブ・アレイモは調べてみると1972年にB級ホラー映画『残酷ヘビ地獄』というのに出演していたようです。 他にも真っ当な仕事をしているらしいですが。。 こちらがその私が持っているワーナー盤の『ラブ・キャン・メイク・ユー・ハッピー』のしわくちゃになったジャケット。 これとは別にマーシーのメンバーの写真バージョンもあります。(『ミュージックライフ』1969年8月号東芝音楽工業(当時)の広告より) ![]() レコード・レーベルおたくであった私はワーナーのレコードがほしかったので, この機会にと買ったのです。 (当時のワーナーといったらPPMくらいしかいなかった。) さて, ここに合衆国ペンシルバニア東地区連邦地方裁判所の判決文NO. 96-4672 (PDFファイル)があります。 情報公開が進んでいるのか訴訟天国のせいなのか, アメリカではこんなものものまで手軽にダウンロードできてしまうのですから良いことなのやら恐ろしいのやら。。 ともかく唐突にこのような資料が出てくるのは, 例のサンディ・レコードの社長ギル・キャボット氏に関する裁判だからです。 といっても「偽」マーシーを巡って彼が訴えられたのではなく, キャボットがサンディ・レコードや彼の音楽出版社を1969年2月に譲渡したジャミー・レコードを相手に起こした民事訴訟に関しての裁判です。 この裁判では, ジャミー・レコードに対し「サンディ・レコードを譲渡したのに然るべきプロモーションをしなかったから『ラブ・キャン・メイク・ユー・ハッピー』から派生する利益が少なくなった。 だから契約不履行なのでレコード原盤の権利を返せ」という内容の言いかがりをつけたようです。 キャボットはジャミー・レコードとの合意を無視して勝手に別のレコード会社にも『ラブ・キャン・メイク・ユー・ハッピー』のレコード原盤の権利を売却しており, これを契約違反とみなしたジャミー・レコードがキャボット側に売上げの一部を払っていなかったのですが, これをキャボット側に伝えていなかったジャミー・レコードの手落ちから裁判ではキャボット側の主張を認めジャミー・レコードに未払いの分を払うように命じたものの, 他のキャボットの主張は退けられました。 なお『ラブ・キャン・メイク・ユー・ハッピー』のもう1つの出版元を経営する友人からキャボットが払うべき著作権料が未納だとして訴状が提出されていてこれは30数年経った今も公判中だそうです。 (噂では1ドルも支払っていないそうです。) このようにギル・キャボットと言う人, どうも一癖あるようで, 業界では「ならず者」と言う人もいるとか。 写真を見ると関根勤氏にそっくりなんですけど。 そのキャボットはタンパに妻子を置いたまま, 現在はロサンジェルスに住んでワーナー・レコードやテレビや映画のプロデューサをしているそうです。 それでは, マーシーはどうなったのでしょう? 『ラブ・キャン・メイク・ユー・ハッピー』は, 最高2位まで昇るヒット曲となりますが(1位はビートルズの『ゲット・バック』), この歌にすべての人生の運を使いきったのか, もともと引き出しの中身が少なかったのか, このあとピート・ドレイクのカバー曲 Forever が多少ラジオでかかった程度であとが続かず, 一発屋の烙印を押されて1972年に再び解散します。 しかし, ボーカルを担当していたジェームズ・マーヴェルとバディ・グッドは『カントリー・キャヴァリアーズ』というカントリー・デュオを組み(カントリー史上初の長髪+ヒゲ面のシンガーだったそうです), それなりにカントリーの世界では活躍し解散。 現在はジェームズ・マーヴェルのみがまだ芸能界に残っているようです。 彼のページによると奥さんと『オブラディ・オブラダ』や『恋は水色』など1960年代・70年代の曲を歌って地方回りをしているようですが, それよりも彼の言動が典型的な今日の保守的アメリカ人のそれであることに注意が向いてしまいます。 「ドラッグを撲滅しなくてはいけないという神の声を聞いて」 カントリー音楽を通してドラッグ撲滅をしようとカントリー・キャバリアーズを結成し, 『予言(Prophecy)』という曲を作り, 9・11の後『アメリカよ, お前はしなくてはいけない(America You Must)』というナレーション作品の作曲を担当 ― いかにも evangelist (熱狂的福音伝道者)の行動パターンです。 しかし彼のサイトにはこの手のアメリカ人のサイトに欠かせない星条旗がはためいていないのが不思議でした。 最後に歌について。 マーシーのメンバーの一人ジャック・シーゲルが19歳のときに作ったこの曲は, 最初の11語を歌い終わるのに10秒かかります。 ラップだったらこの10秒で何語詰めこむことでしょう。 やはり時代を感じます。 時代を感じるのはテンポだけではありません。 泥沼のベトナム戦争の反動の, ラブとピースの安売りみたいなあの時代の側面を感じさせる歌詞と, 60年代末の曲の特徴である宗教的な色合いを感じさせる曲想とコーラスもそうです。 それでも歌詞はいかにもアメリカ人好み。 現在でも結婚式とかカラオケとかで歌い継がれているのではないかと思います。 |
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