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131  【誰も知らない,聞きたがらない曲シリーズ】 
 The Games People Play  (Joe South)
 孤独の影 (ジョー・サウス)
1969
  原詞・訳詞  
ヒット曲の誕生秘話を求めてまずすることはアーチストのオフィシャル・サイトに行ってみること。 今回もジョー・サウスのオフィシャル・サイトに行ってみようとしたけれど, ない。


いや, こういうことは引退した歌手, 解散したバンドにはごくふつうのこと, と気を取り戻し, ファンの作ったトリビュート・サイトに期待をしてみれば, これまたない。


Joe South で検索して出てきた Joe South's Home Page は野球のユニフォームを着て微笑みかける, ひょろっとした金髪青年のホームページで, 歌手の Joe South のホームページと間違えられ(というより,からかわれ)ゲストブックに歌詞を書きこむ人がいるらしく, ご丁寧にタイトルの下に Not a singer と書かれていました。


           


1969年のグラミー賞 Song of the Year に輝いた『孤独の影』の作者, ジョー・サウスはまた, ディープ・バープルの『ハッシュ』(1968)や, 日本でも南沙織のカバー曲『17歳』で有名な, リン・アンダーソンの『ローズ・ガーデン』(1971)を作った人でもあります。 またエルビス・プレスリーは彼のシングル曲 Walk A Mile In My Shoes をカバーしています。 (訂正: 南沙織のカバーは間違いで別曲でした。)


1940年2月8日ジョージア州アトランタ生まれたジョー・サウスは12歳で, 自宅から1マイルの範囲に届くミニラジオ局を「開局」し自らカントリーを実演。
17歳でカントリー歌手ピート・ドレイクのバンドに参加, 18歳でビック・ボッパーの "The Purple People Eater Meets the Witch Doctor" でソロ・デビューしたあとは, スタジオ・ミュージシャンとしてボブ・ディランの『ブロンド・オン・ブロンド』やサイモンとガーファンクルの『サウンド・オブ・サイレンス』などの製作に携わりました。


このようにグラミー賞受賞歌手であり多くのヒット曲を生んだジョー・サウスにオフィシャル・ホームページどころかファン・サイトすらない。
これはどういうことでしょう?


           


彼には I'm A Star という自作曲があります。 


「私は神ではなく人間に過ぎず
人類に支払うべき金を払っているだけ。
私の人生は公共の財産。
私が生き続ける理由は
与えるためそして微笑むため。
なぜなら私は有名人だから。
私は隠れても無駄。
「ほらあの人『孤独の影』を録音した人」という囁きが聞こえる。
そしてヤツラは近づいて来るがなんて図々しいんだ。」


こんな感じの詞なのですが, 冗談? それとも本気?


そしてコンサートでジョー・サウスは観客にこう言ったそうです。
「さあ, みんなホールの中, 輪になって踊りなさい。 それでステージに来たらオレのケツにキスをすること。」


           


ジョー・サウスが華だったのは60年代末の一時期だけ。
1971年彼の兄弟が自殺をした後ハワイのマウイ島のジャングルで隠遁暮らしを始めます。 その後復帰して1975年にレコードを出しますがしばらくしてまた活動を停止してしまいます。


もちろん今でも彼の熱烈なファンは世界にいます。 それは Amazon.com の素人によるレコード評が★★★★★ だらけであることからもわかります。
また故郷アトランタの音楽博物館では殿堂入りをしています。


しかし, ジョー・サウスは自らの才能に溺れてしまい, 自ら「60年代の忘れられたシンガー」にならざるを得ない状況を作ってしまったのも事実です。
まあ才能だけでなく人間性も大切だと言うことですね。


           


ところで, この歌はある意味で今あるこのコンテンツ『なつメロ英語』の原点なのです。
少ない小遣いでシングル盤を買っていた当時中学生の私は, メイソン・ウイリアムズの『クラシカル・ガス』を買ったらいいか『孤独の影』を買ったらいいかと迷っていました。
そして迷いに迷って『孤独の影』を選びました。 理由は『クラシカル・ガス』はインスト曲で歌詞がないから。 どうせ買うなら歌詞があった方が英語の勉強になって「お買い得」と思ったからです。


 
ジョーサウスの顔写真のジャケットもあるようです。


何やら語っている曲であるのに私は惹かれました。
それでレコードを買った私は辞書を引いてジョー・サウスが言おうとしていることを理解しようとしました。 しかし中学生の私にはわからないことだらけ。
第2連にリムジンが出て来ます。 今読めばこれが霊柩車であることはわかるのですが, 当時の私はこれはてっきり, あの筋の方の車と思いこんでいたのです。 なにしろ私の育った千葉という街, さりげなくタイヤが6つか8つある黒塗りのリムジンが路上駐車しているところなので。 


しかしいくら辞書をひいても歌詞がわからなかったのは, 乏しい英語力のせいだけではなく, 間違いだらけの歌詞カードにもあります。 
今, インターネットの歌詞サイトの歌詞と見比べると, あのレコード代, 返せと叫びたくなるほど間違いだらけ。 (参考までに当時のシングル盤の歌詞カード
特に pretend とあるのが, テーブルとか壁に飾る写真のポートレートサイズを表す 8 by 10 の誤聴であるのはおかしい。


           


さて, この歌が69年のグラミー賞 Song of the Year になったのは何故なのか, 私なりに考えてみました。
Song of the Year ということはその年を代表する歌ということですが, これは歌詞にカギがあるように思います。



The Games People Play の game は「人生ゲーム」と訳してみました。 そしてこの歌では3つの「人生ゲーム」の主人公がでてきます。
象牙の塔に引きこもる者, 不仲になって別れるカップル, そしてカルト宗教の勧誘者です。


特に3つ目のカルト宗教の勧誘者は60年代末のアメリカの宗教的カルチャーの流行を示唆しているように思います。
これは泥沼化するベトナム戦争の影響ではないかと思うのです。 今のアメリカがかなり宗教に傾斜しているのを考えると時代は繰り返すと私は勝手に思ってしまいます。


ポップスに関してもどこか宗教的な色合いの歌が流行りました。 
この年のグラミー賞はキリストを題材にしたミュージカル『ヘヤー』の挿入歌, フィフス・ディメンションの『アクエリアス』でしたし, 当時は宗教的(キリスト教的)賛美歌的な意味を持つ詞とかメロディとかアレンジのヒット曲が多く生まれました。 
ザ・バンドのザ・ウエイト(1969) エドウィン・ホーキンス・シンガーズのオー・ハッピー・デイ(1969) ディオンのアブラハム・マーティン・アンド・ジョン(1968)ダスティ・スプリングフィールドのプリーチャーマン(1968) エルビス・ブレスリーのイン・ザ・ゲトー(1969) ニール・ダイヤモンドの Brother Love's Travelling Salvation Show(1969)  などなど。


この歌もその一つと言っていいでしょう。
特にカルト系の宗教を思わせる人物を登場させたのは注目に値します。 『孤独の影』は1969年の2月から3月にかけてアメリカで流行った曲ですが, この年の8月にチャールズ・マンソン率いるヒッピーのカルト集団ファミリーによる『シャロン・テート殺害事件』が起きています。


             


最後に歌詞の中の語句の注釈を。
第2連 while away  何もせずに時間を無駄にする 
第3連 cross our hearts and we hope to die (口語)誓って言う
第4連 8 by 10  ポートレート用の写真のサイズ(前述) 
第5連 sock it to 〜  人に強烈な印象を与える 60年代後半のR&Bでよく出てくる言葉。
第6連 come on, get on board さあ乗りなさい。 街角で勧誘する宗教団体の人間の集会場への誘いの言葉。 この辺りの事情がわかるように私の訳では「救われるから」というのを付け足してあります。
第8連 you don't give a da da da da  ここはわざと give の目的語を隠して聞き手に委ねています。 タイトル忘れましたが山口百恵の歌でこの手のがありましたが, あんな感じです。