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125   Saturday In The Park    (Chicago)
 サタデイ・イン・ザ・パーク   (シカゴ)
1972
付: If You Leave Me Now   愛ある別れ 1976
  原詞・訳詞(サタデイ・イン・ザ・パーク)
 原詞・訳詞(愛ある別れ)
70年代初め, ブラスの入ったバンドの曲がヒット・チャートに顔を出してました。 ブラッド・スウェット&ティアーズ(「アンド・ホエン・アイ・ダイ」「スピニング・ホイール」), チェイス(「黒い炎」), アイズ・オブ・マーチ(「ビークル」)など。 その先駆者はシカゴでしょう。 


シカゴというと何か壮大な, 「ロック界の三国志」的なものを私は感じてしまうのです(たとえがイマイチわかりませんが)。 そもそも私の得意分野は小物とか一発屋とかで, 大物は得意じゃないので彼らのことは今日の今までよく知らないで来たのでありまして,小さな声で言いますと何人メンバーがいたのかも知らないのです。


ただ訳詞+αが必要なこのコンテンツ。 ここは調べるしかない。 というので google 検索開始。


すると, ここで問題が。  Chicago で検索したら 3,500万件もヒットする。 chicago, rock, band で検索しても 126万件の上, シカゴで活躍しているバンドからシカゴのロック・カフェまであってこれまたどうしようもない。 
60年代70年代では将来,家庭のパソコンで自分たちのバンド名が検索されるとは思っていなかったでしょう。  America, Japan, Asia, Kansas 等地名をバンド名にしたり,そのものずばり The Band なんて名前つけたりすると彼らの情報をインターネットで得るのに苦労します。。


                 


今回は chicago, rock, band に horns を付け足してめでたく彼らのオフィシャル・サイト www.chicagotheband.com にたどりつきました。 (このページからリンクを貼っていないのでコピー&ペーストしてアクセスしてください。)


よくある FLASH による導入部。 これはスキップして, その後に登場したのが例の Chicago のロゴを中心にロールオーバ効果を使ったボタンを配置したメニュー。 
ボタンにマウスを置いてみると彼らの写真が出て来ます。 彼らがどうやら6人からスタートし, 現在は8人メンバーがいるらしいことがわかりました。 (そんなの今ごろ知ったのか!と言う声が聞こえる。。)


「何人メンバーか」という疑問を解決し, ついでに彼らの経歴を調べるためにメニューから History へ飛んでみました。 するとそこにあったのは13章から成る膨大な「シカゴ一代記」。  ああ,やはり彼らは「ロック界の三国志」なのか。。


日本語に訳したらどれくらいの量になるでしょうか。
1ページが約40行から150行, 多いと200行近くあります。 1行に18語前後あるので, 7章分を50行×18語, 6章分を150行×18語で計算してみると 22,500語。
英単語1語を日本語に訳すと平均して日本語は2.5倍多くなるのでこれに2.5を掛けると56,250語。 
手元の講談社新書の1ページあたりの文字数を調べると42文字×15行で630語。 単純にギッシリこれに埋めるとすると約90ページ。 実際は章ごとに1ページ分とって, さらに段落分けしてサブタイトルなどをつけて行数を増やせば悠に100ページは超えるでしょう。 
結論: 上記の「シカゴ一代記」を訳して製本化すると講談社新書(ほぼ200ページ)の半分くらいになります。



非常に膨大な資料のためここでは最初の2章の大意を記して置くに留めます。 

【第1章 Dream】
1945年3月14日, ミュージシャンの父親と音楽好きの母親の元に生まれた Walter Parazaider は,小さい頃からベニー・グッドマンに影響を受けクラリネットを練習します。
10代のときシカゴ交響楽団のクラリネット奏者にかわいがられ, 将来はクラリネット奏者になることを夢見つつ, 小遣い稼ぎと女のコにもてようという下心から当時人気のあったベンチャーズなどのロックンロールをサキソフォンで演奏します。

入学したシカゴ・デポール大学では最初教職過程など取ったものの性に合わず1年で専攻を音楽に変え,クラリネットの degree recital (学位を取るためのリサイタル)に合格, オーケストラでクラリネットを吹く資格を得ます。 
がブラスのあるロックバンドを作るという思いも捨てきれません。 1966年, ビートルズがアルバム『リボルバー』でトランペットとサキソフォンをフィーチャーした曲を発表し彼はまずますその夢を膨らませます。


【第2章 Birth of the Band】
当時(1966年) Parazaider は the Missing Links というバンドにいました。
この中にいたのが次の3人。
(1) Terry Kath(ギター) 1946年1月31日生まれ。 Parazaider と Guercio の友達。 のち1978年に銃の事故で死亡。
(2) Danny Seraphine (ドラムズ) 1948年8月28日生まれ。 シカゴのイタリア人街区出身。
(3) Lee Loughnane (トランペット)1946年10月21日生まれ。 トランペット奏者の父親を持ち幼い頃からトランペットを吹き, Parazaider のように小さい頃からプロのミュージシャンになろうとデボール大学に行きますが, 教養過程の単位がとれずに中退。 いくつかの地元のバンドに所属,当時 R&B がブームであったのでトランペッターは需要があったようです。


これに次の2人が加わります。
(4) James Pankow(トロンボーン) 1947年8月20日生まれ。 当時デポール大学4年生。
小さい頃からリズム感がよかったので親が地元(セントルイス)の小学校(音楽学校?)のオーディションを受けさせることにしました。 その際,競争率の低いトロンボーンで受けさせる作戦を親と先生が企み,本人の意志に反してトロンボーンを練習する羽目に。
やがてトロンボーンと音楽への情熱が生まれクインシー大学で音楽を専攻。 しかしバンド活動にも熱中し,エージェントもついた2年の夏休み, シカゴに来たときクインシー大学に戻らずデボール大学に転向します。
(5) Robbert Lamm(キーボード) 1944年10月13日ニューヨークブルックリン生まれ。母親の再婚後シカゴへ。 高校時代はレイ・チャールズに憧れ作曲もしていました。


1967年2月15日, 彼らはシカゴの北にある Parazaider のアパートに集まり,Parazaider の描く『ホーンのあるロックバンド』を作るプロジェクトへ「命とエネルギーを捧げる(Pankow談)」ことに同意したのでした。
彼らの出演契約を結んだイタリア人の友達が彼らを The Big Thing と命名します。



         


 以下, 『シカゴ・ヒストリー』はまだまだ続くのですが, ここでは簡単に『サタデイ・イン・ザ・パーク』までの足取りを記すに留めます。


 The Big Thing はアメリカ中西部のクラブでギグを重ね, The Exceptions というバンドからから Peter Cetera(ギター)をリクルート。  1968年にデポール大学時代の Parazaider の友人 Jimmy Guercio がマネージャ兼プロデューサになると名前を  Chicago Transit Authority (すぐのちに Chicago) と改名。 ロサンジェルスに行きコロンビア・レコードと契約します。


1969年4月に出たダブルアルバム Chicago Transit Authority のあと精力的なツアーをし徐々に人気が出て, 1970年2月出た2枚目の ChicagoII からは初めてのヒットチャート曲 『僕らに微笑を』Make Me Smile と 『長い夜』(25 or 6 to 4) が出ました。
以降, Chicago III (1971年1月) Chicago At Carnegie Hall ( 1971年10月). Chicago V (1972年7月)を出し, ここで『サタデイ・イン・ザ・パーク』 (Saturday In the Park). がヒットします。  


      


『サタデイ・イン・ザ・パーク』は意味深な内容の歌詞です。 
発表された1972年はベトナム戦争末期。 ニクソン大統領が2月に中国を, 3月にソ連を訪問し, 翌73年3月にベトナム撤収が完了。 そんな時代背景を考えると喜びに溢れる公園の人々は戦争終結を待ち望んでいた人々の象徴と見えます。
一方, ライダーが掲げる国旗(the colors of the day 「独立記念日を表す旗」)とかブロンズ像の男(ジョージ・ワシントンでしょうか)の言葉とかにはベトナム戦争に負けた自国への愛国心も感じられます。 
つい自虐的になってしまいがちな当事者による反戦運動と, それに相反するような愛国心。  シカゴは双方を包みこんでしまうような歌を作ろうとしたのかもしれません。
ただ, 一世代たってきな臭くなった今, この曲の詞がビミョーな色合いを持って読めるような気が私にはするのです。 


ところで私の持っているオールデイズのオムニバス盤の歌詞も, ウエッブ上の歌詞サイトの歌詞も,  さらに上記のシカゴのオフィシャルサイトにも, 2番が Saturday in the park You'd think it was the fourth of July となっているのですが, どう聞いても Another day in the park   I think it was the fourth of July  なのです。
私は後者で掲載しましたが, アルバムとシングルではこの部分が違うのでしょうか。
何か情報のある方はお教え願えればと思います。


一方, 『愛ある別れ』(If You Leave Me Now) は典型的な失恋の歌。  1976年6月に出た Chicago X からのヒット曲ですが, シカゴと言ったらブラスなのに, アコースティックかつオーケストラルでシカゴらしくないような感じもします。 でも大学で音楽を専攻し, 一時はクラシック畑に進もうと思ったメンバーがいることを考えると, ごく自然な成り行きで生まれた曲だとも言えるでしょう。