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123   Midnight Train to Georgia    (Gladys Knight & the Pips)
 夜汽車よジョージアへ    (グラディス・ナイト&ピップス)
1973
  原詞・訳詞
日本の歌謡曲に当てはめればムード歌謡のグループがご当地ソングを歌うような(例:クールファイブの『長崎は今日も雨だった』)感じのグラディス・ナイトとピップスの『夜汽車よジョージアへ』は, 1974年グラミー賞デュオ,グループもしくはコーラスによるベスト・リズム&ブルース・ボーカル・パフォーマンスに輝いた,70年代のソウル・バラードの名作中の名作です。


私にとって, この歌はブルック・ベントンの『雨のジョージア』, ビッキー・ローレンスの『ジョージアの灯は消えて』と合わせて『夜のジョージアを歌った3部作』の1曲なのですが,  何故にジョージアなのでしょう?
アメリカ人にとってジョージアは田舎(故郷)のイメージがあり, その上, 『ジョージア』という響きが詞になりやすいからかと私は思っています。


グラディス・ナイト&ピップス自身は, この歌がジョージアのご当地ソングであることを喜んでいるそうです。 というのもジョージアは彼らの故郷であり, その歌が彼らにとって最大のヒット曲となったのですから。


             


ところが実は『夜汽車よジョージア』は当初は『夜間飛行よヒューストンへ』だったのです。


この曲を作ったジム・ウエザリー(グラディス・ナイトの曲のコラボレータでもある)は, 友人であったファラ・フォーセット(なつかしい名前)から彼女が当時付き合っていたリー・メイジャーズの家のあるロサンジェルスからフォーセットの家族住むテキサス州ヒューストンへ夜行便の飛行機で帰ったことを聞き, これから Midnight Plane to Houston を作ったのでした。 ちなみに曲調はカントリーだったようです。


彼は自らこの Midnight Plane to Houston を吹きこみエイモス・レコードから発売しますが特に話題にもなりませんでした。 しかし彼はこの曲をジョージア州アトラタのレコード・プロデューサ,ソニー・リンボに送ると, 彼はこれをホイットニー・ヒューストンの母親でありディオンヌ・ワーイックのいとこであるシシー・ヒューストンに歌わせることにしたのです。  
その際, リンボはウエザリーに midnight plane を mighnight train に, Houston を Gerogia に変えてもいいか打診してきます。 
ヒューストンがヒューストンの歌を歌うのはシャレにもならないということかもしれませんが, ともかくウエザリーはこの申し出を承諾。 ここに初めて『夜汽車よジョージアへ』が誕生します。
グラディス・ナイト&ピップスが録音する1年前の1972年のことでした。



             


1944年ジョージア州アトランタに生まれたグラディス・ナイトも他のR&B歌手と同様, 小さいときから教会のゴスペル合唱団で活躍していました。 特に彼女の場合, 両親が歌手であることもあって10歳のとき(1954年)に, 兄のメラルドと姉のブレンダ, 従兄弟のウイリアム・ゲストとエレノア・ゲストとともにグループを結成します。 
グループ名前は従兄弟であり彼らのマネージャであったジェームス・ウッズのニックネーム Pip から来ています。
1959年ブレンダとエレノアは結婚して引退し, 代って従兄弟のエドワード・パターンとラングストン・ジョージとが加入し1961年には Every Beat of My Heart が初ヒット(第6位)となります。
そして1962年にラングストンが抜け, ここに女一人(グラディス・ナイト)と男3人(メラルド・ナイト, ウイリアム・ゲスト, エドワード・パターン)から成るグラディス・ナイト&ピップスとなります。


彼らは1965年モータウン・レコードと契約, ここで『悲しいうわさ(I Heard It Through The Grapevine)』(後にマービン・ゲイやCCRもレコーディング)などをヒットさせます。


1973年ジム・ウエザリーのペンによる Neither One of Us がヒットしたあと, 当時バブル・ガム・ミュージックからの脱皮を図っていたブッダ・レコードと契約。 彼らにとっての最大のヒット曲『夜汽車よジョージアへ』のヒットを迎えることになります。



やがて彼らは法的な問題からいっしょにレコーディングができなくなり, この間グラディス・ナイトとピップスは別々のレーベルでレコードを出しますが, 1980年に再び1つのグループとして再出発します。 しかし1990年に解散。 ピップスは消滅しますがグラディス・ナイトは現在も現役で活躍中。 R&Bというよりアダルト・コンテンポラリーの路線を進んでいるようです。 


               


最後に歌詞について。
この歌はファラ・フォーセットの話をインスピレーションにして生まれたという背景からか芸能界の内輪話的な内容となっています。 すなわちスターを夢見ながら挫折して故郷のジョージアに戻る男性といっしょに夜汽車に乗って行くという女性のラブ・ソングです。
グラディス・ナイトとバックのピップスの掛け合いがこの歌の命。 もしグラディス・ナイトのソロだけだったら,これほどヒットしなかったでしょう。


しかしレコードの歌詞カードもウエッブ上の歌詞もグラディス・ナイトのメインの部分の歌詞しか載せていません。 運良くこれをカバーしているインディゴ・ガールズというグループの歌詞にピップスの部分が載っているのを発見, 無事訳詞もできあがりました。


ところで歌詞とグラディス・ナイトの実際の歌を聞いているとビミョーに異なるところがあります。 どうやらアドリブで彼女が歌詞を変えているらしく, だからバック・コーラスとの掛け合いが合わないところもあるのですが, この即興性がまた『夜汽車よジョージアへ』の魅力だと思います。
私はできるだけ忠実にそれを再現しようとしたのですが, 完全とは行っていません。 それでもウエッブ上に浮かんでいるこの歌詞よりはよほど歌に忠実に再現されてあります。 スクロールを繰り返さないと歌詞が読めないほど長くなってしまったのはこのためです。


追記
このページをご覧になった stream さんからのメールの一部です。
特に好きなのは、テーマ部分がくり返されるところでグラディスがアドリブ
っぽく歌い上げるバックでピップスが
「リヴィノンザミッナイトレイントゥジョージァ〜〜ッ、ポッポー」と歌う
ところ。ここ涙が出るほど好きなんです。この「ポッポー」の部分で、
ピップスは汽車の警笛のヒモを引っ張る振りをしていましたね。

たぶん西海岸録音なんでしょうが、タイトル通り、南部ソウルの味わいが
あって、そこもまたたまらなく好きです。
なるほど whoo whoo は「ポッポー」だったのですね。
私はカード・ゲームのパソゲーのキャラがいいカードが来ると whoo whoo と言うのをを聞いたことがあるのでただの間投詞だと思ってました。