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| 114 | Rambling Gambling Man (Bob Seger System) ランブリング・ギャンブリング・マン (ボブ・シーガー・システム) |
1968 |
| 原詞・訳詞 | ||
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| ボブ・シーガーって言うと Night Moves と来るんでしょうが, ビルボードのヒット・チャートの存在を知り出した私にとってボブ・シーガーといったら1968年に17位まで昇った, 彼の初期の作品『ランブリング・ギャンブリング・マン』。 もっとも当時の私はちょっとバブル・ガム系だったのでこの曲のファンキーなドラムとキーボードを聞いててっきり1910フルーツガム・カンパニーやオハイオ・エキスプレス, レモン・パイパーズ, ロックン・ロール・ダブル・バブル・トレーディング・カード・カンバニー・オブ・フィラデルフィア19141(おお,いまだに覚えている), クレージー・エレファント等と同列のバンドだと思っていたのですが。。 事実,この曲クレージー・エレファントの『ギミ・ギミ・グッド・ラビン』と曲想も歌詞も似ているじゃないですか。 ボブ・シーガーについては他のサイトに任せるとして, ここでは個人的な昔話をさせてもらいましょう。 (私は音楽評論家じゃないんで。 たまにはこうして安易にページを埋めさせておくんなまし。) 1960年代も終わり, 私にとって憧れの地は港ヨコハマでありました。 ヨコヤマの成人市民は
それは まっちの あかりが ぬれてきれいね ヨコハマ〜 とか あなた知ってる? 港ヨコハマ〜 とか歌われていたからではなく, そこは今は亡き『ラジオ関東』の本拠地だったからなのです! ラジ関[ラジカンと発音]を聞くために私は自宅から南南西の方角にあるヨコハマ市へ毎日ラジオを合わせたのでありますが, それはちょうどメッカに向かって毎日礼拝するイスラム教徒と同じでありました。 船の汽笛をバックに何言ってんだかわからないけど英語でDJしていたケン田島の『ポート・ジョッキー。 』 謎に満ちたこの方の正体は以下をコピー&ペーストするとわかります。 http://www.toyota-ttc.co.jp/radio/salon/salon030907_01.html それから夕方の帯の放送だと思いますが, 毎週電話でゴーゴー喫茶に電話してそこのベストテンだかを聞く番組。 あるゴーゴー喫茶の店長, いつも『ドック・オブ・ザ・ベイ』を『ドック・オブ・ジ・ベイ』と言う。 毎度のことで業を煮やしたアナウンサーから「『ドック・オブ・ザ・ベイ』ですね。」と半分バカにされて念を押されても「はい,『ドック・オブ・ジ・ベイ』と言ってたっけ。 ラジオ関東はその後社主が代り, ラジオ日本と改名。 その社風を180度転換余儀なくされ, 洋楽を一切認めずかかる曲は歌謡曲。 お茶ラケた番組はなくなり保守・右翼系の論調の人間による語り中心の番組に限定。 今のアメリカフォックステレビと同じ路線を歩んだのでした。 でボブ・シーガー・システムと言うと, 当時の私はそうレコードなど買う金もなく, この『ランブリング・ギャンブリング・マン』はレコード買うほどの曲でもなく(失礼), でも聞きたいという思いが募り, こうなるとするのはラジオ局へのリクエスト。 そして数多いラジオ番組の中から私が選んだのは三遊亭円楽がDJをする洋楽番組でありました。 これは曲のタイトルがどうしてこう付いたのかその理由を落語家らしくオチをつけて分析するいう番組で, その地味なスタンスから視聴者も多くなくこれならリクエストが採用される率も高いだろうと狙ったと思います。 そして思惑通りリクエストは採用されたハズです。 ハズというのは, 何かの用事でその日の放送を最初から聞けなかった私がラジオのスイッチを入れたとき聞こえたのが「ボブ・シーガー・システムのランブリング・ギャンブリング・マンでした」という言葉だったから。 「でした」ということは曲が終わったということで, これが果たして私のリクエストによるのか他の誰かのリクエストによるかはわかりません。 が, ボブ・シーガー・システムのランブリング・ギャンブリング・マンなんて, 私以外に誰が知っているだろうと思っていたので, もう私のリクエストに決まっていると今でも信じています。 残念なのはどう『ランブリング・ギャンブリング・マン』にオチをつけて三遊亭円楽師匠が話をしたのかわからないこと。 まあ, ともかく私にとってのバブロフの法則は「ボブ・シーガーと言えば三遊亭円楽師匠」なのでありまして, こういう人間は全世界約59億8000万でも私1人でしょうね。 |
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